説明

刀剣小町 刀 銘 表 : 備前守源祐国 白鞘入 拵付き(Katana, Bizen no kami Minamoto Sukekuni) 刃文は、大互ノ目乱れ、匂深く沸よくつき、砂流しかかり、足入り、玉を焼き、濤乱風となる。 黒石目塗鞘打刀拵 : 雷文金布目象嵌角丸形鉄鍔(肥後)、菊図目貫、銀磨地金色絵素文縁頭・鐺 祐国は、本国は紀伊で石堂派の刀工です。のちに大坂に移住し、寛文頃、摂津で活躍しました。「紀伊国祐国」、「備前守源祐国」、「花房備前守源祐国」などと銘を切り、年紀に「寛文七」があります。石堂派の御家芸の備前伝丁子乱れだけでなく、当時大坂で流行していた濤乱刃や古典的直刃などの作もよくし、業物として切れ味も高く評価された上手な刀工です。本作は、反り浅く一見スマートな姿にもかかわらずずしりとした手持ち感があり、鍛え肌細かにつみ、匂深く沸よくついた大互ノ目乱れが豪快な出来の良い作です。状態の良い、江戸後期頃の拵えがついています。 素銅地金着一重ハバキ、白鞘、白鞘袋、拵、拵袋、登録証(東京都 第307140号 平成弐拾参年拾弐月拾参日交付)、

刀 白鞘入り 拵付き
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Tokuho売切れ

刀 白鞘入り 拵付き

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仕様

長さ

71.1 cm

反り

1.2 cm

元幅

3.3 cm

先幅

2.23 cm

流派について

Ishido School石堂派

石堂派は、近江国蒲生郡石堂村の刀工に淵源を有する一門である。慶長から元和・寛永にかけて、これらの刀工は近江よりまず京都へ上り、のちに江戸へ下って一派を成したと伝えられ、これがいわゆる江戸石堂の祖となった。武蔵大掾是一はその祖と称され、日置出羽守光平・常光・越前守宗弘らと共に江戸石堂の名を大いに高めた。中でも対馬守橘常光は、日置を姓とし生国を近江国蒲生郡とする一派の代表工で、従来は光平の兄とされてきたが、年紀作を逆算すると光平の方が六歳年長であり、また常光は橘氏、光平は源氏を名乗っていることから、兄弟であるという通説には疑問がもたれている。一門はやがて各地へ広がり、是一門からは是次が出て九州に活躍し福岡石堂の繁栄をもたらした。紀州にあっては平安城安広が紀州名草郡和歌山に移って作刀し、また備中守橘康広(富田五郎左衛門)が紀州石堂派を代表し、のちに大坂に移って大坂石堂派の始祖となった。河内守康永の門人多々良長幸もまた紀州より大坂に移り、近江には佐々木善四郎一峯らがあって、一派は江戸・大坂・紀州・福岡・近江の各地に系統を伝えた。 石堂派の作風は、御家芸ともいうべき備前伝にあり、映りの立った鍛えに丁子乱れを得意とする点に一貫した特色がある。鍛えは板目つみ、杢・流れ肌を交え、地沸微塵につき、乱れ映りが鮮やかに立つ。刃文は丁子乱れを主調とし、大丁子・頭の丸い丁子・小丁子・互の目・小互の目・尖りごころの刃などを交え、重花丁子・袋丁子をも交えて足・葉よく入り、華やかとなる。常光の作には焼に高低が見られ、焼頭が鎬にかかる程の大出来の丁子を焼くものがあって、古作一文字を髣髴とさせる。安広は互の目・小互の目・箱刃風・尖りごころの刃などを交えて総じて焼高く、棟焼よく入り、金筋・砂流し・沸筋頻りにかかる放胆な焼刃を示す。康広は逆ごころをおびた華やかな丁子乱れを得意とし、長幸は石堂派本来の一文字を狙った丁子乱れの作と、末備前に範をとった腰のひらいた互の目を主調とする作の二様を遺す。総じて匂口の明るく冴える点が、一門諸工に通じる特色である。 評価としては、石堂派は新刀・新々刀の時代にあって備前伝の作風を伝え、丁子乱れの華やかな出来をよく示した点に意義が認められる。常光は焼に高低のある華やかな丁子乱れを焼いて本領を発揮し、その典型作は同工中の優品・最高傑作と称される。安広は長寸・身幅広く重ね厚い堂々たる姿態に放胆な焼刃を加え、新刀を代表する一工としてその技倆が遺憾なく発揮されている。康広は覇気に富んだ作柄を仕上げ、その一口は薩摩国島津家に伝来したものも知られる。長幸は師に優る技量の持主と評され、匂口のふっくらとした出来を遺す。各地に展開しながら備前伝の本領を堅持し、江戸時代初期より長く続いたこの一門は、新刀・新々刀の世にあって備前の作風を伝えた代表的な流派として高く位置づけられている。

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