平安城住刻國 -Heianjo ju Tokikuni- 刃長11.8センチ 茎の長さ26.6センチ 元幅22.6ミリ 元重ね12.1ミリ 物打幅22.6ミリ 物打重ね9.5ミリ 螻蛄首八角形 螻蛄首元幅16.0ミリ 螻蛄首元重ね16.35ミリ 螻蛄首の長さ1.80センチ 目釘穴2個 裸身重量164グラム 江戸初期 The early period of Edo era 昭和40年9月29日 岡山県登録 附属 甲種特別貴重刀剣認定書、白鞘 平安城住刻國は因幡国の刀工で、出羽大掾國路の門人と伝えられています。初代忠國の中年期の銘とされ、新刀弁疑には初銘を國勝と記していますが現存作は確認されておらず、初期には平安城住人忠國と銘し、寛永六年頃より刻國と改め、さらに寛永十一年に信濃大掾を受領すると再び忠國を名乗りました。現存する年紀作は承応二年まで確認されており、寛文六年に没したと伝えられています。精緻に詰んだ地鉄と明るい沸出来の刃文を特色とし、槍や彫物を施した作品に優品が多く残されています。 本槍は平三角造で中央を絞った鋭い造り込み。地鉄は小板目肌がよく錬れて緻密に詰み、柾流れ、鉄色は冴え、鍛えは極めて健全であり、古作らしい落ち着いた風合いの中にも上質な鉄味を感じさせます。表には太く深い樋が掻かれ、その内部に梵字を刻し、螻蛄首上には蓮台を彫り出しており、信仰的意匠と武器としての機能美とを巧みに融合させています。 刃文は匂口明るく沸のよく付いた互ノ目を焼き上げ、焼幅も広く華やかで、刃中には砂流が顕著に働いており、刻國の優れた技量を明瞭に示しています。鋩子はそのまま先で丸く深く返り、全体に品格ある出来栄えを見せています。 特に見所となるのは伝来で、白鞘にはその伝来が記された紙が貼られています。それによると、備前池田藩虫明城代家老を務めた伊木長門忠澄(三猿斎)の旧蔵品であり、虫明焼とともに伝来した旨が記されており、伊木長門忠澄は幕末から明治初期にかけて岡山藩池田家の筆頭家老として活躍するとともに高名な茶人としても知られる人物であることから、本槍は単なる武器としてのみならず歴史資料としても高い価値を有しています。 甲種特別貴重刀剣認定書が付属し、作柄、保存状態、伝来のいずれにも優れた一口であり、平安城鍛冶刻國の技量と大名家伝来品としての格調を今日に伝える愛蔵に相応しい名槍です。
平安城住刻國 -Heianjo ju Tokikuni- 刃長11.8センチ 茎の長さ26.6センチ 元幅22.6ミリ 元重ね12.1ミリ 物打幅22.6ミリ 物打重ね9.5ミリ 螻蛄首八角形 螻蛄首元幅16.0ミリ 螻蛄首元重ね16.35ミリ 螻蛄首の長さ1.80センチ 目釘穴2個 裸身重量164グラム 江戸初期 The early period of Edo era 昭和40年9月29日 岡山県登録 附属 甲種特別貴重刀剣認定書、白鞘 平安城住刻國は因幡国の刀工で、出羽大掾國路の門人と伝えられています。初代忠國の中年期の銘とされ、新刀弁疑には初銘を國勝と記していますが現存作は確認されておらず、初期には平安城住人忠國と銘し、寛永六年頃より刻國と改め、さらに寛永十一年に信濃大掾を受領すると再び忠國を名乗りました。現存する年紀作は承応二年まで確認されており、寛文六年に没したと伝えられています。精緻に詰んだ地鉄と明るい沸出来の刃文を特色とし、槍や彫物を施した作品に優品が多く残されています。 本槍は平三角造で中央を絞った鋭い造り込み。地鉄は小板目肌がよく錬れて緻密に詰み、柾流れ、鉄色は冴え、鍛えは極めて健全であり、古作らしい落ち着いた風合いの中にも上質な鉄味を感じさせます。表には太く深い樋が掻かれ、その内部に梵字を刻し、螻蛄首上には蓮台を彫り出しており、信仰的意匠と武器としての機能美とを巧みに融合させています。 刃文は匂口明るく沸のよく付いた互ノ目を焼き上げ、焼幅も広く華やかで、刃中には砂流が顕著に働いており、刻國の優れた技量を明瞭に示しています。鋩子はそのまま先で丸く深く返り、全体に品格ある出来栄えを見せています。 特に見所となるのは伝来で、白鞘にはその伝来が記された紙が貼られています。それによると、備前池田藩虫明城代家老を務めた伊木長門忠澄(三猿斎)の旧蔵品であり、虫明焼とともに伝来した旨が記されており、伊木長門忠澄は幕末から明治初期にかけて岡山藩池田家の筆頭家老として活躍するとともに高名な茶人としても知られる人物であることから、本槍は単なる武器としてのみならず歴史資料としても高い価値を有しています。 甲種特別貴重刀剣認定書が付属し、作柄、保存状態、伝来のいずれにも優れた一口であり、平安城鍛冶刻國の技量と大名家伝来品としての格調を今日に伝える愛蔵に相応しい名槍です。