日本美術刀剣保存協会の特別保存証書付き。 長次は、江戸時代初期(天和頃)に和歌山(紀州)で活躍した石堂派の刀工です。 このサイズの槍で外装もあって特別保存もついているとなれば、もう何も申し分ないと思います。 外装は螺鈿で装飾された美しいもので、白鞘もあります。 そして本身は40cm越えの大身槍です。(槍の全長は262cm) 当店おすすめの槍で、今、槍をお買い求めのお客様はぜひこちらをご覧になってくださいませ。 ぜひとも店頭まで見に来てくださいませ。 表 銘:長次 裏 銘: 時 代:江戸前期 刃 長:47cm 目釘穴:1 個 反 り: なし 全 長:262cm 元 幅:27 .3mm 元 重:9.3 mm 先 幅:16 mm 先 重:6.1 mm 登 録:和歌山県 教育委員会

















Shinto · 紀伊 · 1681-1684頃
現在2点販売中
Shinto · 近江
現在46点販売中
石堂派は、近江国蒲生郡石堂村の刀工に淵源を有する一門である。慶長から元和・寛永にかけて、これらの刀工は近江よりまず京都へ上り、のちに江戸へ下って一派を成したと伝えられ、これがいわゆる江戸石堂の祖となった。武蔵大掾是一はその祖と称され、日置出羽守光平・常光・越前守宗弘らと共に江戸石堂の名を大いに高めた。中でも対馬守橘常光は、日置を姓とし生国を近江国蒲生郡とする一派の代表工で、従来は光平の兄とされてきたが、年紀作を逆算すると光平の方が六歳年長であり、また常光は橘氏、光平は源氏を名乗っていることから、兄弟であるという通説には疑問がもたれている。一門はやがて各地へ広がり、是一門からは是次が出て九州に活躍し福岡石堂の繁栄をもたらした。紀州にあっては平安城安広が紀州名草郡和歌山に移って作刀し、また備中守橘康広(富田五郎左衛門)が紀州石堂派を代表し、のちに大坂に移って大坂石堂派の始祖となった。河内守康永の門人多々良長幸もまた紀州より大坂に移り、近江には佐々木善四郎一峯らがあって、一派は江戸・大坂・紀州・福岡・近江の各地に系統を伝えた。 石堂派の作風は、御家芸ともいうべき備前伝にあり、映りの立った鍛えに丁子乱れを得意とする点に一貫した特色がある。鍛えは板目つみ、杢・流れ肌を交え、地沸微塵につき、乱れ映りが鮮やかに立つ。刃文は丁子乱れを主調とし、大丁子・頭の丸い丁子・小丁子・互の目・小互の目・尖りごころの刃などを交え、重花丁子・袋丁子をも交えて足・葉よく入り、華やかとなる。常光の作には焼に高低が見られ、焼頭が鎬にかかる程の大出来の丁子を焼くものがあって、古作一文字を髣髴とさせる。安広は互の目・小互の目・箱刃風・尖りごころの刃などを交えて総じて焼高く、棟焼よく入り、金筋・砂流し・沸筋頻りにかかる放胆な焼刃を示す。康広は逆ごころをおびた華やかな丁子乱れを得意とし、長幸は石堂派本来の一文字を狙った丁子乱れの作と、末備前に範をとった腰のひらいた互の目を主調とする作の二様を遺す。総じて匂口の明るく冴える点が、一門諸工に通じる特色である。 評価としては、石堂派は新刀・新々刀の時代にあって備前伝の作風を伝え、丁子乱れの華やかな出来をよく示した点に意義が認められる。常光は焼に高低のある華やかな丁子乱れを焼いて本領を発揮し、その典型作は同工中の優品・最高傑作と称される。安広は長寸・身幅広く重ね厚い堂々たる姿態に放胆な焼刃を加え、新刀を代表する一工としてその技倆が遺憾なく発揮されている。康広は覇気に富んだ作柄を仕上げ、その一口は薩摩国島津家に伝来したものも知られる。長幸は師に優る技量の持主と評され、匂口のふっくらとした出来を遺す。各地に展開しながら備前伝の本領を堅持し、江戸時代初期より長く続いたこの一門は、新刀・新々刀の世にあって備前の作風を伝えた代表的な流派として高く位置づけられている。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
契約解除に基づく返品は、商品到着日(配達店到着日を含む)を含めて3日以内に発送して下さい。商品に手を加えた物、キズ等の異常が生じていた場合は程度に関わらず対応できません。商品の往復送料等はお客様のご負担とさせていただきます。お届け先が海外の場合は返品や返金は出来ません。
日本美術刀剣保存協会の特別保存証書付き。 長次は、江戸時代初期(天和頃)に和歌山(紀州)で活躍した石堂派の刀工です。 このサイズの槍で外装もあって特別保存もついているとなれば、もう何も申し分ないと思います。 外装は螺鈿で装飾された美しいもので、白鞘もあります。 そして本身は40cm越えの大身槍です。(槍の全長は262cm) 当店おすすめの槍で、今、槍をお買い求めのお客様はぜひこちらをご覧になってくださいませ。 ぜひとも店頭まで見に来てくださいませ。 表 銘:長次 裏 銘: 時 代:江戸前期 刃 長:47cm 目釘穴:1 個 反 り: なし 全 長:262cm 元 幅:27 .3mm 元 重:9.3 mm 先 幅:16 mm 先 重:6.1 mm 登 録:和歌山県 教育委員会

















Shinto · 紀伊 · 1681-1684頃
現在2点販売中
Shinto · 近江
現在46点販売中
石堂派は、近江国蒲生郡石堂村の刀工に淵源を有する一門である。慶長から元和・寛永にかけて、これらの刀工は近江よりまず京都へ上り、のちに江戸へ下って一派を成したと伝えられ、これがいわゆる江戸石堂の祖となった。武蔵大掾是一はその祖と称され、日置出羽守光平・常光・越前守宗弘らと共に江戸石堂の名を大いに高めた。中でも対馬守橘常光は、日置を姓とし生国を近江国蒲生郡とする一派の代表工で、従来は光平の兄とされてきたが、年紀作を逆算すると光平の方が六歳年長であり、また常光は橘氏、光平は源氏を名乗っていることから、兄弟であるという通説には疑問がもたれている。一門はやがて各地へ広がり、是一門からは是次が出て九州に活躍し福岡石堂の繁栄をもたらした。紀州にあっては平安城安広が紀州名草郡和歌山に移って作刀し、また備中守橘康広(富田五郎左衛門)が紀州石堂派を代表し、のちに大坂に移って大坂石堂派の始祖となった。河内守康永の門人多々良長幸もまた紀州より大坂に移り、近江には佐々木善四郎一峯らがあって、一派は江戸・大坂・紀州・福岡・近江の各地に系統を伝えた。 石堂派の作風は、御家芸ともいうべき備前伝にあり、映りの立った鍛えに丁子乱れを得意とする点に一貫した特色がある。鍛えは板目つみ、杢・流れ肌を交え、地沸微塵につき、乱れ映りが鮮やかに立つ。刃文は丁子乱れを主調とし、大丁子・頭の丸い丁子・小丁子・互の目・小互の目・尖りごころの刃などを交え、重花丁子・袋丁子をも交えて足・葉よく入り、華やかとなる。常光の作には焼に高低が見られ、焼頭が鎬にかかる程の大出来の丁子を焼くものがあって、古作一文字を髣髴とさせる。安広は互の目・小互の目・箱刃風・尖りごころの刃などを交えて総じて焼高く、棟焼よく入り、金筋・砂流し・沸筋頻りにかかる放胆な焼刃を示す。康広は逆ごころをおびた華やかな丁子乱れを得意とし、長幸は石堂派本来の一文字を狙った丁子乱れの作と、末備前に範をとった腰のひらいた互の目を主調とする作の二様を遺す。総じて匂口の明るく冴える点が、一門諸工に通じる特色である。 評価としては、石堂派は新刀・新々刀の時代にあって備前伝の作風を伝え、丁子乱れの華やかな出来をよく示した点に意義が認められる。常光は焼に高低のある華やかな丁子乱れを焼いて本領を発揮し、その典型作は同工中の優品・最高傑作と称される。安広は長寸・身幅広く重ね厚い堂々たる姿態に放胆な焼刃を加え、新刀を代表する一工としてその技倆が遺憾なく発揮されている。康広は覇気に富んだ作柄を仕上げ、その一口は薩摩国島津家に伝来したものも知られる。長幸は師に優る技量の持主と評され、匂口のふっくらとした出来を遺す。各地に展開しながら備前伝の本領を堅持し、江戸時代初期より長く続いたこの一門は、新刀・新々刀の世にあって備前の作風を伝えた代表的な流派として高く位置づけられている。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
契約解除に基づく返品は、商品到着日(配達店到着日を含む)を含めて3日以内に発送して下さい。商品に手を加えた物、キズ等の異常が生じていた場合は程度に関わらず対応できません。商品の往復送料等はお客様のご負担とさせていただきます。お届け先が海外の場合は返品や返金は出来ません。