元興(初代) 文化(1804-1818年)頃、奥州 銘:「万代光定作」「角秀国」「奥州会津住角元興」「角大八源元興作奥州会津住」「刀鍛冶棟梁 元興作奥州会津住人」 本名を角大八と称し、角五郎左衛門の三男として生まれる。当初は「光定」と銘じた。後に会津兼定を輩出した古川家へ婿入りし、古川大八秀国と改名するが、寛政元年(1789年)に離縁して角姓に復した。 その後、江戸へ上り水心子正秀の門に学ぶ。その優れた技量から会津藩に召し抱えられ、江戸では薩摩藩工の光長より相州伝の技法も習得した。 寛政四年(1792年)、薩摩藩主の招聘により同国へ赴き、名工・大和守元平に師事。この師弟関係から「元」の一字を譲り受け「元興」と名乗る。翌年、会津へ帰国。文政七年(1824年)三月二十八日、七十二歳で没した。 七代長道と同様に「刀鍛冶棟梁」の称号を許されており、これは地域の工を統括する筆頭鍛冶であることを意味する。 作風: 初期の作品は師である水心子正秀に似た姿を見せるが、薩摩での修行後は、より豪壮な体へと変化する。 長さが伸び、反りは浅く、身幅広く元先の幅差が少ない、大切っ先を思わせる力強い姿となる。 地鉄は潤いがあり、地肌は詰んで目立たない。 刃文は、沸出来の互の目乱れ、湾れ乱れ、あるいは広直刃などを焼き、中上作に列せられる。








































Iwashiro · 1818-1830頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位39%
現在2点販売中
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
元興(初代) 文化(1804-1818年)頃、奥州 銘:「万代光定作」「角秀国」「奥州会津住角元興」「角大八源元興作奥州会津住」「刀鍛冶棟梁 元興作奥州会津住人」 本名を角大八と称し、角五郎左衛門の三男として生まれる。当初は「光定」と銘じた。後に会津兼定を輩出した古川家へ婿入りし、古川大八秀国と改名するが、寛政元年(1789年)に離縁して角姓に復した。 その後、江戸へ上り水心子正秀の門に学ぶ。その優れた技量から会津藩に召し抱えられ、江戸では薩摩藩工の光長より相州伝の技法も習得した。 寛政四年(1792年)、薩摩藩主の招聘により同国へ赴き、名工・大和守元平に師事。この師弟関係から「元」の一字を譲り受け「元興」と名乗る。翌年、会津へ帰国。文政七年(1824年)三月二十八日、七十二歳で没した。 七代長道と同様に「刀鍛冶棟梁」の称号を許されており、これは地域の工を統括する筆頭鍛冶であることを意味する。 作風: 初期の作品は師である水心子正秀に似た姿を見せるが、薩摩での修行後は、より豪壮な体へと変化する。 長さが伸び、反りは浅く、身幅広く元先の幅差が少ない、大切っ先を思わせる力強い姿となる。 地鉄は潤いがあり、地肌は詰んで目立たない。 刃文は、沸出来の互の目乱れ、湾れ乱れ、あるいは広直刃などを焼き、中上作に列せられる。








































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