
宗勉刀匠は、名を宗勝といい、昭和2年に福岡に生まれ、昭和21年より父の宗正光に師事、昭和30年より新作名刀展に出品、文化庁長官賞、薫山賞など数多くの特賞を受賞し、平成2年には無鑑査に認定される。作風は、父の目指した左文字、虎徹を範として沸の強く、金筋・砂流しのよく働いた相州伝を踏襲、その後清麿に挑戦し、「清麿の宗」と異名をとるほどになり、さらに晩年には越前守助広の濤欄刃にも挑戦し成功している。その技術は秀逸で、宗勉刀匠の清麿写しが銘を切り直し、重要の清麿になっているという話もある。平成27年2月没。この刀は、身幅3.6cmもあり先幅も2.9cmと広く、大鋒となる南北朝時代の太刀を磨上げた清麿によく見る姿で、板目肌つみ、柾目肌交じり、地沸厚くつき、地景長く入る冴えた地鉄に、華やかな丁子刃に、湯走り・飛び焼き掛り、足長くよく入り、沸深くよくつき、金筋長く幾重にも頻りに掛り、匂口明るく冴える。宗勉刀匠の大後援者の注文打ちとなる清麿写し最高傑作である。

宗勉刀匠は、名を宗勝といい、昭和2年に福岡に生まれ、昭和21年より父の宗正光に師事、昭和30年より新作名刀展に出品、文化庁長官賞、薫山賞など数多くの特賞を受賞し、平成2年には無鑑査に認定される。作風は、父の目指した左文字、虎徹を範として沸の強く、金筋・砂流しのよく働いた相州伝を踏襲、その後清麿に挑戦し、「清麿の宗」と異名をとるほどになり、さらに晩年には越前守助広の濤欄刃にも挑戦し成功している。その技術は秀逸で、宗勉刀匠の清麿写しが銘を切り直し、重要の清麿になっているという話もある。平成27年2月没。この刀は、身幅3.6cmもあり先幅も2.9cmと広く、大鋒となる南北朝時代の太刀を磨上げた清麿によく見る姿で、板目肌つみ、柾目肌交じり、地沸厚くつき、地景長く入る冴えた地鉄に、華やかな丁子刃に、湯走り・飛び焼き掛り、足長くよく入り、沸深くよくつき、金筋長く幾重にも頻りに掛り、匂口明るく冴える。宗勉刀匠の大後援者の注文打ちとなる清麿写し最高傑作である。
