説明

本作は、大小共に直胤作の佳品、大が嘉永三年、小が翌年の常陸国助川打ち、江戸期の拵えがピシッと付いた逸品です。 直胤は、荘司箕兵衛と言い、安永七年、出羽国山形に生まれ、『大慶』と号しました。寛政十年頃、同郷の水心子正秀を頼って江戸へ出て門下に入り、文化初年頃に独立、文政四年には『筑前大掾』、嘉永元年には『美濃介』へと転じています。師の提唱した『復古造法論』を最も良く実践し、師同様に多くの門人を輩出しました。 年紀作に見る活躍期は、寛政末年ころから安政三年頃まで、翌同四年(一八五七)、七十九歳にて没、師正秀、源清麿と共に、『江戸三作』と呼ばれました。 作風は、五ヶ伝全てを巧みにこなし、山城来、大和保昌、備前景光、相州正宗、相伝備前長義、美濃大志津写しなどの傑作が残されています。 五十歳を過ぎた天保頃より、三度の長旅に出て各地で鍛刀しており、それぞれの地名を茎に刻印、又は切付銘として残しています。 刻印には、『東(江戸)』、『都(京都)』、『ナニワ(大坂)』、『イセ(伊勢)』、『シナノ(信濃)』、『イツ(伊豆)』、『ヒッチウ(備中)』、『サカミ(相模)』、『エンシウ(遠江浜松)』、『チハ(千葉)』、『助川(茨城)』等々があります。 本作は、大小共に備前伝の典型作、良く鍛えられて所々大模様に肌立つ地鉄、小互の目、小丁子主体の刃は、刃縁柔らかく、古調な味わいで、小の方が刃の出入りがより細やかな感じです。共に大きな欠点なく、真面目な作です。 大は『七十二翁』と年齢を添えており、小は茎に『助川』の刻印があるように、貴重な常陸国助川打ち、現在の茨城県日立市助川町に当たります。 立派な江戸期の外装、金着せ二重ハバキ付き、内外楽しめる逸品です。 商品番号:Q-342 大小 刀:(太刀銘)荘司美濃介藤直胤(花押) 脇差し(常陸国助川打ち):美濃介直胤(花押)(刻印)助川 嘉永二二年八月日(一八五一) 拵え付き 特別保存刀剣鑑定書付き 価格: ¥4,900,000 (税込) 販売期間: 数量: 振 在庫: ○ 在庫 ○ 返品についての詳細はこちら 月刊コレクション情報 2026年7月号 (6/19発送) 会員の方のみご覧いただけます 月刊コレクション情報最新号の裏表紙に記載されているユーザー名とパスワードを入力して下さい。 見本誌請求(無料)はこちらから 最新情報をいち早くお届けいたします! 無題ドキュメント 刀剣・槍 販売品一覧 太刀 刀 脇差 短刀 薙刀・槍 刀装具 販売品一覧 鐔 小柄 目貫 縁頭 拵え 火縄銃 特別重要・重要刀剣一覧 特別保存刀剣一覧 保存刀剣一覧 売却済み商品 <ごあいさつ> コレクション情報のホームページをご覧いただきありがとうございます!営業本部長の小牧です。お目当ての刀のお探しや、加工・製作のご相談など、なんでもお気軽にご連絡下さい! (株)コレクション情報 〒500-8258岐阜県岐阜市西川手7丁目89TEL.058-274-1960FAX.058-273-7369 カレンダー ■今日 ■定休日 ■展示会 営業時間 9:00~18:00 FAX/メールは24時間受け付けております。 会社へお越しの際はご一報ください。 リンク 伊豆 伊東 浮山温泉 高級旅館

刀:(太刀銘)荘司美濃介藤直胤(花押) 脇差し(常陸国助川打ち):美濃介直胤(花押)(刻印)助川 Katana:Shoji Minonosuke Fuji Naotane Wakizashi:Minonosuke Naotane
Tokuho

刀:(太刀銘)荘司美濃介藤直胤(花押) 脇差し(常陸国助川打ち):美濃介直胤(花押)(刻印)助川 Katana:Shoji Minonosuke Fuji Naotane Wakizashi:Minonosuke Naotane

大小

¥4,900,000

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

70.1 cm

反り

2.3 cm

元幅

3.14 cm

先幅

2 cm

作者について

Suishinshi Masahide Naotane直胤

3 重要美術品1 御物1 特別重要刀剣35 重要刀剣

大慶直胤は水心子正秀第一の門人にして、師に次ぐ新々刀の中心的存在である。安永に出羽国山形に生まれ、通称を庄司箕兵衛、号を大慶といい、若年の折に江戸に出て正秀の門に入り、師同様に秋元侯に仕え、細川正義と共に水心子門下の逸材となった。二十三歳の作刀に「庄司直胤」と寛政十三年の年紀があることから、説明書は入門をこれより数年前、独立を文化初年頃とする。文政四年頃に筑前大掾を受領し、嘉永元年に上洛して美濃介に転じ、約五十年に亘る作刀ののち安政四年七十九歳で歿した。正秀が復古刀論の理論家であったのに対し、直胤はその実践者であり、説明書はその技術が師を凌ぐに至ったと評し、ある相州伝の刀について「その技術が師を凌ぐと評せられた」と記す。 本工の本領は備前伝で、説明書はこれを彼の得意とするところとし、端的に「丁子乱れの巧みさは新々刀第一の定評がある」と述べる。よくつんだ小板目、時に梨子地風の地に丁子乱れを焼き、これに角張った角互の目・尖り刃・互の目を交え、足は長く、しばしば刃先に抜けるほどに入る。総体に後期長船の逆がかりを示して丁子も逆足も寝かせ、匂勝ちに小沸つき、匂口明るく冴える。姿は鎌倉の太刀を彷彿とさせ、腰反りないしやや高く中鋒となり、説明書はその角がかった刃と逆がかりを、鎌倉後期長船の景光・兼光を意識した範と読む。 この刃の下にあって終始変わらぬのが地鉄である。よくつんだ小板目に地沸つき、最上の備前伝では腰元に乱れ映りが鮮明に立ち、上作では映りが刃の焼頭に繋がる。新々刀には本来の古刀の映りはなく、ゆえに乱れ映りを意図して甦らせたこと自体が古備前への遡りの証で、説明書はこれを長船をねらいとした証として特筆する。同時に、これが古刀ではなく新々刀である所以についても明快で、兼光・景光に倣ったと極められた備前伝の刀について「純然たる匂出来ではな」く、全体に沸づくとし、これを「古作と新々刀との相達」と評する。帽子は乱れ込んで先尖りごころに掃きかけ返り、あるいは直ぐに小丸となる。 直胤は古刀各伝を手がけ、その記録は明瞭な調子に分かれる。賞される第二の手は相州伝で、備前伝より稀にして正宗・貞宗・志津に範を求める。流れて大杢目を交えた板目、上作では独特の渦巻肌を交えた地に、説明書がこれを相伝の見どころとする地に、湾れに互の目を交え、地沸厚く地景入り、沸荒めに叢となり、砂流し・沸筋縞がかって金筋長く入る。ある相州伝の脇指を説明書は放胆として、その叢づく沸と頻りなる掃きかけに「野趣が感ぜら」れるとする。第三の小調子として、より穏やかな大和の手と直刃が残る。ある天保の刀を本工に比較的珍しいとし、直刃調を浅くのたれて小互の目を交えるとし、真田家伝来の大小では大を大和伝の総柾鍛えに相州伝の湾れ・互の目を加味したものとして、一刀に二伝を交える。在銘にして年紀の多い工ゆえ、直胤における鑑定の問題は極めにあらず、その位置にある。 彼を分かつのは、極めの自ら言うところである。明るい乱れ映り、角互の目と逆足を伴う逆がかりの丁子、そして意図的な長船写しが、映りも逆がかりも持たぬ一般の新々刀から彼の備前伝を分かち、相州伝は独特の渦巻肌と叢づき縞がかる沸の働きによって示される。彼は正秀の直下に立ち、自らの門人の先に立つ。刀身の彫物はしばしば水心子門下の彫物師本庄義胤の手になり、高弟澤原重胤らがその大慶の作風を幕末へと伝える。説明書はその上作を同工の筆頭に置き、ある備前伝の刀を「彼の備前伝の作中の筆頭に置くべきものである」とし、茎に和歌を切った一刀を傑作中の傑作と称え、天保の相州伝の刀を同工の右翼として師の相州伝をも凌ぐとする。 収集の観点では、直胤は新々刀復古の在銘の大名跡である。藤代の極めは最上作、刀剣銘鑑の位列もその上位近くにある。国宝・重要文化財はなく、その指定は戦前の重要美術品と現代の特別重要刀剣・重要刀剣を通じ、約四十口の指定作がいずれも在銘で文化から嘉永の年紀をもって残る。その作は来歴と銘文の確かな名家に伝わる。真田家伝来の大小、太政殿下の台命により造られて皇室に伝わる御太刀の副作、津藩の渡辺脩が注文した刀、そして製鉄業の太田政恭のために良質の原材料を吟味して鍛えられ、説明書が「会心の一口」と称える一刀がある。戦前の重要美術品には井手慶四郎・須藤宗次郎・鈴木清助の旧蔵がある。指定文化財として封じられた作はなく、また作刀が多いため、在銘の直胤は古刀の大名跡よりは世に出やすいが、その最上の特別重要刀剣・重要刀剣はなお取引されるより秘蔵されることが多い。私蔵の一口が収集家の前に現れるのは時折のことであり、説明書が新々刀第一とする備前伝の確かな傑作ともなれば、世に出れば一個の画期である。

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コレクション情報

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