Stock number:ME-040915Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TousouguCountry・Era:Edo eraSoshi-Arai-Komachi-zu Menuki赤銅地 容彫 金銀色絵Left Width:3.25cmRight Width:3.24cmIn paulownia wood box【Additional Information】山崎一賀は左衛門と通称した。初代は後藤就乗の門に学ぶ。活躍期は享保(1716)~宝暦頃(1751)で京都に住した金工である。古人は、銘と作から見て同名が初、二代には及ぶのではないかと伝えられている。画題は草子洗小町と言い、能の演目の一つで歌合を舞台に小野小町が大伴黒主の好策を機知によって退ける様を描く。あらすじは次の通りです。大伴黒主(ワキ)は、歌合で小野小町(シテ)を相手にすることとなった。しかし、とても勝ち目がないと考えた黒主は、歌合の前日、小町の邸に忍び込み小町が明日のために詠んだ歌を盗み聞きする。歌合当日、紀貫之(ツレ)を初め歌人たちが居並ぶ中で小町の歌が読み上げられるが、黒主は「その歌は既存の古歌である」と難ずる。証拠として黒主が取り出した『万葉集』の草子には、確かにその歌が書き込まれていた。前日小町の歌を盗み聞いた黒主が予め書き足しておいたのである。窮地に立たされる小町だが黒主の入れ筆と見破り、許しを得て水を以ってその草子を洗う。すると、たちまち黒主の書き足した歌は消え失也、彼の悪事が明らかとなる。全てが露見した黒主は自害しようとするが、小町はそれをとりなして祝言の舞を舞う。本作は極上の赤銅地を容彫とし、金銀色絵を施す。小野小町は、草子と洗桶を持ち黒主は鳥帽子をかぶり太刀を佩いている。山崎一賀と割短冊銘に切り分け根足もしっかりとしている。一賀改心の作と思われる。



山﨑一賀
江戸
在銘
特別保存 (NBTHK)
町彫 · 山城
町彫 · 山城
現在22点販売中
鉄元堂は京都に拠点を置いた町彫金工の一派であり、江戸時代中期に岡本源兵衛敏行によって創始された。初代は鉄屋伝兵衛国治に師事し、工名を尚茂と称した。後年入道剃髪して正楽の号を用いた。安永九年(一七八〇)に没。一宮長常・大月光興と共に「京都金工の三傑」に数えられる高名な金工である。正楽には初・二代があり、宝暦から寛政にかけて活躍したとされ、二代は尚房の名で作品を遺している。この京都金工の圏域には、二条に住した細野惣左衛門政守——元禄三年や享保三年の年紀作が遺る——や、後藤就乗門下の山崎一賀(仁左衛門、同名数代あり)も含まれ、それぞれ独自の作風を展開した。 鉄元堂の作風を最も特徴づけるのは、鉄の圧倒的な掌握力である。説示に繰り返し「主として鉄を用い、鉄を巧みにこなす作者として定評が高い」[[c:2]]「鉄を自由にこなす」[[c:3]]「鉄を扱わせれば追随を許さない」[[c:4]]と記されるように、鉄地の扱いにおいて比類なき名声を得た。正楽は鉄磨地あるいは石目地を基調とし、鋤出から高彫に連繋する彫法によって作品に深みと量感を与える。要所には金・銀・赤銅・四分一・素銅・真鍮といった色金の象嵌色絵を丹念に施し、「難儀といわれる鉄への色金象嵌」[[c:5]]を綿密な出来映えに仕上げる技は「鉄元堂にして成し得る」[[c:6]]と称される独壇場であった。題材は写生に基づく人物図を最も得意とし、夕立人物図は「最も得意とした画題」[[c:7]]として同図の作品が数多く知られる。韃靼人と洋犬の異国情緒ある図、南蛮人図、帰樵図、還城楽図、風神大仏図など、力強い鏨力と豊かな動勢をもって描出されている。一方、細野政守は四分一や赤銅の地金に毛彫・片切彫と各種色金の平象嵌を駆使し、京の町の賑やかさや農作業の風景を画面一杯に展開する独自の細密画世界を築いた。山崎一賀は後藤家の作風を踏襲しつつも彫・色絵に濃やかさを加え、赤銅魚子地に高彫色絵の格調高い作品を制作した。 鉄元堂は京都町彫金工のなかでも鉄物の上手として独自の地位を占める。初代正楽の鐔は「地鉄もしっとりとした潤いを見せ」[[c:8]]「流石に鉄元堂にして成しえる出来映え」[[c:9]]と評され、鉄地の質感から象嵌に至るまで一貫して卓抜した技量を示す。夕立図では大小の鐔と縁頭に種々の場景を配して物語的な展開を見せ、韃靼人図では天明二年の年紀を有する作品が初・二代の研究において「資料的にも価値が高い」[[c:10]]と注記される。草摺曳図目貫に見られる金と赤銅の芋継地という古風な造込みは、後藤祐乗を意識した古雅な作風をも正楽が自在にこなしたことを示す。鐔が初代、小柄が二代という大小揃の存在は、「鉄物の上手、象嵌技術にも秀れると定評通りの作風」[[c:11]]が世代を超えて継承されたことの証左である。細野政守の農作業図鐔は「画面からは諸々の作業音とともに人々の会話が聞きとれそうである」[[c:12]]と讃えられる代表作であり、山崎一賀の淀城水車図揃金具は金の色絵を多用した「豪華絢爛な作風」を示す。こうした多彩な個性を擁する京都金工の一群として、鉄元堂の系譜は刀装具史において独自の位置を占めている。 詳しく見る →
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
Stock number:ME-040915Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TousouguCountry・Era:Edo eraSoshi-Arai-Komachi-zu Menuki赤銅地 容彫 金銀色絵Left Width:3.25cmRight Width:3.24cmIn paulownia wood box【Additional Information】山崎一賀は左衛門と通称した。初代は後藤就乗の門に学ぶ。活躍期は享保(1716)~宝暦頃(1751)で京都に住した金工である。古人は、銘と作から見て同名が初、二代には及ぶのではないかと伝えられている。画題は草子洗小町と言い、能の演目の一つで歌合を舞台に小野小町が大伴黒主の好策を機知によって退ける様を描く。あらすじは次の通りです。大伴黒主(ワキ)は、歌合で小野小町(シテ)を相手にすることとなった。しかし、とても勝ち目がないと考えた黒主は、歌合の前日、小町の邸に忍び込み小町が明日のために詠んだ歌を盗み聞きする。歌合当日、紀貫之(ツレ)を初め歌人たちが居並ぶ中で小町の歌が読み上げられるが、黒主は「その歌は既存の古歌である」と難ずる。証拠として黒主が取り出した『万葉集』の草子には、確かにその歌が書き込まれていた。前日小町の歌を盗み聞いた黒主が予め書き足しておいたのである。窮地に立たされる小町だが黒主の入れ筆と見破り、許しを得て水を以ってその草子を洗う。すると、たちまち黒主の書き足した歌は消え失也、彼の悪事が明らかとなる。全てが露見した黒主は自害しようとするが、小町はそれをとりなして祝言の舞を舞う。本作は極上の赤銅地を容彫とし、金銀色絵を施す。小野小町は、草子と洗桶を持ち黒主は鳥帽子をかぶり太刀を佩いている。山崎一賀と割短冊銘に切り分け根足もしっかりとしている。一賀改心の作と思われる。



山﨑一賀
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鉄元堂は京都に拠点を置いた町彫金工の一派であり、江戸時代中期に岡本源兵衛敏行によって創始された。初代は鉄屋伝兵衛国治に師事し、工名を尚茂と称した。後年入道剃髪して正楽の号を用いた。安永九年(一七八〇)に没。一宮長常・大月光興と共に「京都金工の三傑」に数えられる高名な金工である。正楽には初・二代があり、宝暦から寛政にかけて活躍したとされ、二代は尚房の名で作品を遺している。この京都金工の圏域には、二条に住した細野惣左衛門政守——元禄三年や享保三年の年紀作が遺る——や、後藤就乗門下の山崎一賀(仁左衛門、同名数代あり)も含まれ、それぞれ独自の作風を展開した。 鉄元堂の作風を最も特徴づけるのは、鉄の圧倒的な掌握力である。説示に繰り返し「主として鉄を用い、鉄を巧みにこなす作者として定評が高い」[[c:2]]「鉄を自由にこなす」[[c:3]]「鉄を扱わせれば追随を許さない」[[c:4]]と記されるように、鉄地の扱いにおいて比類なき名声を得た。正楽は鉄磨地あるいは石目地を基調とし、鋤出から高彫に連繋する彫法によって作品に深みと量感を与える。要所には金・銀・赤銅・四分一・素銅・真鍮といった色金の象嵌色絵を丹念に施し、「難儀といわれる鉄への色金象嵌」[[c:5]]を綿密な出来映えに仕上げる技は「鉄元堂にして成し得る」[[c:6]]と称される独壇場であった。題材は写生に基づく人物図を最も得意とし、夕立人物図は「最も得意とした画題」[[c:7]]として同図の作品が数多く知られる。韃靼人と洋犬の異国情緒ある図、南蛮人図、帰樵図、還城楽図、風神大仏図など、力強い鏨力と豊かな動勢をもって描出されている。一方、細野政守は四分一や赤銅の地金に毛彫・片切彫と各種色金の平象嵌を駆使し、京の町の賑やかさや農作業の風景を画面一杯に展開する独自の細密画世界を築いた。山崎一賀は後藤家の作風を踏襲しつつも彫・色絵に濃やかさを加え、赤銅魚子地に高彫色絵の格調高い作品を制作した。 鉄元堂は京都町彫金工のなかでも鉄物の上手として独自の地位を占める。初代正楽の鐔は「地鉄もしっとりとした潤いを見せ」[[c:8]]「流石に鉄元堂にして成しえる出来映え」[[c:9]]と評され、鉄地の質感から象嵌に至るまで一貫して卓抜した技量を示す。夕立図では大小の鐔と縁頭に種々の場景を配して物語的な展開を見せ、韃靼人図では天明二年の年紀を有する作品が初・二代の研究において「資料的にも価値が高い」[[c:10]]と注記される。草摺曳図目貫に見られる金と赤銅の芋継地という古風な造込みは、後藤祐乗を意識した古雅な作風をも正楽が自在にこなしたことを示す。鐔が初代、小柄が二代という大小揃の存在は、「鉄物の上手、象嵌技術にも秀れると定評通りの作風」[[c:11]]が世代を超えて継承されたことの証左である。細野政守の農作業図鐔は「画面からは諸々の作業音とともに人々の会話が聞きとれそうである」[[c:12]]と讃えられる代表作であり、山崎一賀の淀城水車図揃金具は金の色絵を多用した「豪華絢爛な作風」を示す。こうした多彩な個性を擁する京都金工の一群として、鉄元堂の系譜は刀装具史において独自の位置を占めている。 詳しく見る →
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).