現代刀界を代表する刀工の一人上林恒平刀匠の大小刀(おおこがたな)に、刀身彫刻の名手柳村仙壽師が達磨大師の彫を施した作。銘に備中松山城を戴く「臥牛山下(がぎゅうさんした)」とあり、岡山での作。両区深く無反りでふくら枯れた鋭利な姿。地鉄は小板目肌詰み、地底に細かな地景が躍動し、小粒の地沸で肌潤う。互の目丁子乱刃は純白の小沸で刃縁明るく、足入り、刃中は澄む。帽子は焼深く、長く棟を焼き下げる。 恒平師が刀身の差裏に刻した文字は「耕不盡(耕せども尽くさず)」。意味は「田畑を耕せば作物がよく採れる。が、その作業に終わりはない。同じように諸事すべて営々と続けて行かねばならない」というもの。この意を汲んだ仙壽師が刀身に彫り描いたのは達磨大師。地を鋤き下げ、解脱するまで妥協はしない厳しい表情が肉質豊かに彫られ、しかと修業せよと言いたげな表情。昭和五十八年恒平師は昭和六十年無鑑査となる直前、高松宮賞等の特賞を連続受賞しており、仙壽師は前年、岡山で第一回個展を開催、作家としての地盤を固めていた時期。意欲と体力充実の三十歳台の二人は作刀と刀身彫と各々の終わりのない道を歩み続ける覚悟であったろう。そして本作を手にする人には永遠に健やかであれ、そんな思いをも込めたに違いない。
現代刀界を代表する刀工の一人上林恒平刀匠の大小刀(おおこがたな)に、刀身彫刻の名手柳村仙壽師が達磨大師の彫を施した作。銘に備中松山城を戴く「臥牛山下(がぎゅうさんした)」とあり、岡山での作。両区深く無反りでふくら枯れた鋭利な姿。地鉄は小板目肌詰み、地底に細かな地景が躍動し、小粒の地沸で肌潤う。互の目丁子乱刃は純白の小沸で刃縁明るく、足入り、刃中は澄む。帽子は焼深く、長く棟を焼き下げる。 恒平師が刀身の差裏に刻した文字は「耕不盡(耕せども尽くさず)」。意味は「田畑を耕せば作物がよく採れる。が、その作業に終わりはない。同じように諸事すべて営々と続けて行かねばならない」というもの。この意を汲んだ仙壽師が刀身に彫り描いたのは達磨大師。地を鋤き下げ、解脱するまで妥協はしない厳しい表情が肉質豊かに彫られ、しかと修業せよと言いたげな表情。昭和五十八年恒平師は昭和六十年無鑑査となる直前、高松宮賞等の特賞を連続受賞しており、仙壽師は前年、岡山で第一回個展を開催、作家としての地盤を固めていた時期。意欲と体力充実の三十歳台の二人は作刀と刀身彫と各々の終わりのない道を歩み続ける覚悟であったろう。そして本作を手にする人には永遠に健やかであれ、そんな思いをも込めたに違いない。