鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 重要刀剣[N.B.T.H.K] Jyuyo TokenNo.45 江戸時代、徳川将軍家の御抱工として天下に名を馳せた名工、初代越前康継の重要刀剣指定作品。初代康継は近江国坂田郡下坂郷の出身で、のち越前に移住、結城秀康に見出され、初期には、「肥後大掾下坂」と銘していたが、後に江戸に召され、家康・秀忠両将軍の前で鍛刀し、その賞として葵紋及び「康」の一字を賜り名を康継と改めた誉れ高い名工である。彼は大阪落城の折に消失した太閤御物の多くを再刃し、様々な名物の写しを制作するなどの功績を残し、その名跡は11代の長きに渡って徳川家に仕えた。その作風は浅いのたれに互の目を交え、沸つき、金筋・砂流しがかかるなど、相州伝と美濃伝の流れを受けており、また彼の特徴として南蛮鉄を用いたと明記している事があげられ、当時としては特殊な鍛法を試みることが出来たのも徳川家の厚遇あってのことであろう。
鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 重要刀剣[N.B.T.H.K] Jyuyo TokenNo.45 江戸時代、徳川将軍家の御抱工として天下に名を馳せた名工、初代越前康継の重要刀剣指定作品。初代康継は近江国坂田郡下坂郷の出身で、のち越前に移住、結城秀康に見出され、初期には、「肥後大掾下坂」と銘していたが、後に江戸に召され、家康・秀忠両将軍の前で鍛刀し、その賞として葵紋及び「康」の一字を賜り名を康継と改めた誉れ高い名工である。彼は大阪落城の折に消失した太閤御物の多くを再刃し、様々な名物の写しを制作するなどの功績を残し、その名跡は11代の長きに渡って徳川家に仕えた。その作風は浅いのたれに互の目を交え、沸つき、金筋・砂流しがかかるなど、相州伝と美濃伝の流れを受けており、また彼の特徴として南蛮鉄を用いたと明記している事があげられ、当時としては特殊な鍛法を試みることが出来たのも徳川家の厚遇あってのことであろう。