傑作 重要刀装具 羽黒鐔 110723 本作は、鍛えの優れた鉄地を用い、数珠を肉彫地透(にくぼりじすかし)によって立体的に表現した大振りの鐔です。 数珠を構成する主珠(おもだま)は、一粒一粒の大きさを微妙に変えることで、意匠に変化と奥行きを与えています。上下にはそれぞれ一粒ずつの親珠(おやだま)を配し、そこから伸びる弟子珠(でしだま)が切羽台へと繋がる構成となっています。 この羽黒鐔の鉄地は力強く、信家や尾張鐔のそれとはまた異なる独特の質感を備えています。 通常、鉄鐔はその(推定される)制作地に因んで「尾張」などの名で呼ばれます。しかし、今日用いられる「羽黒鐔」という呼称は、修験道の聖地である羽黒山の山伏によって制作されたという伝承に基づいています。制作者に関する詳細は依然として判然としませんが、その作風には独特の宗教的背景が感じられます。 山形県(旧出羽国)の中央に位置する月山、湯殿山、羽黒山の三山は「出羽三山」と称されます。大和の大峯山、紀伊の熊野三山、豊前の英彦山と同様、出羽三山は古来より神聖な地とされ、修験道の中心地として栄えました。中世には多くの修験者や僧兵が集まり、江戸時代を通じて徳川将軍家の崇敬と庇護を受けました。その結果、羽黒修験に基づく信仰は、隣接する奥州のみならず、関東、信越、甲斐、三河といった広範な地域にまで浸透しました。 修験者たちは山中での過酷な修行を通じて超自然的な力を得ると信じられていました。例えば『宇治拾遺物語』などの説話集においても、彼らの霊力にまつわる物語が数多く残されています。











羽黒山派
室町
無銘
重要 #25 (NBTHK)
鐔工
羽黒鐔とは、古来、出羽国羽黒山の山伏の作と伝えられる一群の鉄鐔を指す呼称である。説示においては「古来、羽黒山の山伏の作と伝えるものに数珠の形にかたどった肉彫地透の鉄鐔があり、羽黒鐔と称されている」と一貫して記されるが、同時にその伝承は「明らかでない」とも注記され、「羽黒の山伏が果してこの様な手数をかけて鐔を作ったか否かは頗る疑問である」との見解も示されている。実際の製作者としては正阿弥などの金工の手が推測されており、系統は必ずしも明確ではない。時代的には室町時代後期の打刀拵に掛けられた作例が最も古く、本伝承の起源はおおよそ十五世紀から十六世紀に遡る。 羽黒鐔の意匠上の特質は、鉄地に数珠を地透で表現する点に集約される。古い時代の作例では肉彫地透の技法により珠数玉が連なり、大小の変化をもって構成される。説示は一貫して「鉄の鍛えが錬れて」「鉄の地がねがよく」と鍛造の優秀さを指摘し、地金には古色が認められる。形状は丸形・変り丸形・竪丸形を呈し、丸耳を基本とする。江戸時代に入ると専門の鐔工によるデザインに凝った作や、江戸後期の赤坂八代忠時の如く数珠に房を付してより写実的に表現された作品も出現しているが、説示はこれらの後世作とオリジナルの古作とを明確に区別している。 説示が羽黒鐔の古作に認める価値は、伝来の確実性ではなく、その独自の美的性格にある。「簡潔が生む枯淡な雅味と強い精神力の湧出」が古い時代の数珠鐔に見出され、「オリジナルものは、その迫力に於いて見るべきものがある」と評される。正阿弥や他の金工一類が模したと思われる作品とは「全く異り」、鉄鍛えの充実と素朴な透の力強さが、宗教的な厳粛さを感じさせる独自の存在感を成している。大振りで貫禄のある味わい深い作として、羽黒鐔の古作は鉄鐔の伝統において特異な位置を占めている。
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトThree-day inspection period and seven-day return period; buyer notifies by email within three days of receipt, no reason needed; full refund once item returned undamaged and unaltered.
傑作 重要刀装具 羽黒鐔 110723 本作は、鍛えの優れた鉄地を用い、数珠を肉彫地透(にくぼりじすかし)によって立体的に表現した大振りの鐔です。 数珠を構成する主珠(おもだま)は、一粒一粒の大きさを微妙に変えることで、意匠に変化と奥行きを与えています。上下にはそれぞれ一粒ずつの親珠(おやだま)を配し、そこから伸びる弟子珠(でしだま)が切羽台へと繋がる構成となっています。 この羽黒鐔の鉄地は力強く、信家や尾張鐔のそれとはまた異なる独特の質感を備えています。 通常、鉄鐔はその(推定される)制作地に因んで「尾張」などの名で呼ばれます。しかし、今日用いられる「羽黒鐔」という呼称は、修験道の聖地である羽黒山の山伏によって制作されたという伝承に基づいています。制作者に関する詳細は依然として判然としませんが、その作風には独特の宗教的背景が感じられます。 山形県(旧出羽国)の中央に位置する月山、湯殿山、羽黒山の三山は「出羽三山」と称されます。大和の大峯山、紀伊の熊野三山、豊前の英彦山と同様、出羽三山は古来より神聖な地とされ、修験道の中心地として栄えました。中世には多くの修験者や僧兵が集まり、江戸時代を通じて徳川将軍家の崇敬と庇護を受けました。その結果、羽黒修験に基づく信仰は、隣接する奥州のみならず、関東、信越、甲斐、三河といった広範な地域にまで浸透しました。 修験者たちは山中での過酷な修行を通じて超自然的な力を得ると信じられていました。例えば『宇治拾遺物語』などの説話集においても、彼らの霊力にまつわる物語が数多く残されています。











羽黒山派
室町
無銘
重要 #25 (NBTHK)
鐔工
羽黒鐔とは、古来、出羽国羽黒山の山伏の作と伝えられる一群の鉄鐔を指す呼称である。説示においては「古来、羽黒山の山伏の作と伝えるものに数珠の形にかたどった肉彫地透の鉄鐔があり、羽黒鐔と称されている」と一貫して記されるが、同時にその伝承は「明らかでない」とも注記され、「羽黒の山伏が果してこの様な手数をかけて鐔を作ったか否かは頗る疑問である」との見解も示されている。実際の製作者としては正阿弥などの金工の手が推測されており、系統は必ずしも明確ではない。時代的には室町時代後期の打刀拵に掛けられた作例が最も古く、本伝承の起源はおおよそ十五世紀から十六世紀に遡る。 羽黒鐔の意匠上の特質は、鉄地に数珠を地透で表現する点に集約される。古い時代の作例では肉彫地透の技法により珠数玉が連なり、大小の変化をもって構成される。説示は一貫して「鉄の鍛えが錬れて」「鉄の地がねがよく」と鍛造の優秀さを指摘し、地金には古色が認められる。形状は丸形・変り丸形・竪丸形を呈し、丸耳を基本とする。江戸時代に入ると専門の鐔工によるデザインに凝った作や、江戸後期の赤坂八代忠時の如く数珠に房を付してより写実的に表現された作品も出現しているが、説示はこれらの後世作とオリジナルの古作とを明確に区別している。 説示が羽黒鐔の古作に認める価値は、伝来の確実性ではなく、その独自の美的性格にある。「簡潔が生む枯淡な雅味と強い精神力の湧出」が古い時代の数珠鐔に見出され、「オリジナルものは、その迫力に於いて見るべきものがある」と評される。正阿弥や他の金工一類が模したと思われる作品とは「全く異り」、鉄鍛えの充実と素朴な透の力強さが、宗教的な厳粛さを感じさせる独自の存在感を成している。大振りで貫禄のある味わい深い作として、羽黒鐔の古作は鉄鐔の伝統において特異な位置を占めている。
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトThree-day inspection period and seven-day return period; buyer notifies by email within three days of receipt, no reason needed; full refund once item returned undamaged and unaltered.