海野勝珉は、天保十五年に水戸に生まれ、同国の先輩である萩谷勝平や伯父の海野美盛に学んだ。明治初年に江戸に出、やがて加納夏雄に師事して大成した。明治二十四年には東京美術学校教授、同二十九年には帝室技芸員を拝命している。号は藻槍軒・貞月庵・旭登・芳洲・東華斎などを用いている。宗珉に勝るべき工人を志して勝珉と改めたという。
勝珉の作風は、写実に長けた技術が遺憾なく発揮されている点に特徴がある。朧銀石目地、四分一素銅昼夜仕立地、鉄・金昼夜地など、多様な素材を駆使し、鋤出彫、肉合彫、片切彫、薄肉彫、金・銀・赤銅四分一据紋象嵌色絵、金・銀布目象嵌など、高度な彫技を自在に操る。題材は寒山拾得、猛虎、蟹、鬼鍾馗、象など多岐にわたり、それぞれの特徴を捉え、真に迫った描写で見事に表している。特に、四分一で表現された虎の姿は虎視眈々とした様で凄気漲り、鉄と金の昼夜仕立てによる目貫は羽織裏の粋を彷彿とさせる。
勝珉の作品は、精緻な彫口と冴え渡る象嵌色絵によって、その優れた技量が遺憾なく発揮されていると評価される。特に、晩年の入念作とされる作品や、六十歳の会心作と称される作品は、注文主である龍獅堂光村利藻の存在とともに、その芸術性の高さを物語る。激しい風雨の中にたたずむ虎を大胆な据紋象嵌で力強く表した鐔は、若作ながら勝珉の技術と表現力の高さを示す貴重な初期作品である。