宗寛は文政初年に大野平蔵の子として奥州白河城下に生まれた。鍛刀の師は固山宗次であり、その作刀は天保の末年頃から始まる。作風の変遷として、阿武隈川宗寛と銘し生まれ故郷の阿武隈川を姓として用いた時期、泰龍斎の号を常用しだした安政元年頃からの時期、江戸深川箱崎に居住した時期、嘉永初年頃から下総国古河藩の抱え工となった時期などが知られる。銘字は初め楷書体であるが、安政四年八月頃から隷書体に改めている。明治に入っても作刀しているが、廃刀令以後は見られない。明治十六年一月二十三日に歿している。
宗寛の作風は、身幅が広く重ね厚く、反り浅く大鋒となる新々刀期の豪壮な姿を呈する点に特色がある。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が厚くつき、地景が細かによく入る。刃文は丁子乱れを基調とし、小丁子、小互の目、互の目、袋丁子風の刃、角ばる刃などを交え、足が長くよく入り、匂勝ちに小沸つき、細かに金筋、砂流しがかかる。匂口は明るく冴える。帽子は乱れ込み、先小丸、長く返る。作風の時期的な変化として、比較的初期の作は丁子に出入りが見られ、焼刃に高低があって変化に富む傾向がある。截断銘を伴う作も遺されており、伊賀乗重のような人物が試刀に関わったことが知られる。
宗寛の刀は、地刃ともに健全で、総じて出来が良い。特に、匂口明るく冴えた刃が頑健な姿形に映える点が評価される。新々刀期の豪壮な姿を示しつつ、華やかな作風を示すものもある。截断銘と共に、宗寛の高い技術が遺憾なく発揮されている点が評価される。