夏雄

Kano Natsuo

評価作品76点

特重巻 26, 番 51 · 鍔

概要

竹林七賢人図の鐔は文久元年秋、夏雄三十四歳の年紀をもち、夏雄自筆の「細工調上之記」によれば、下画に二日一夜、彫金に一ヶ月余をかけた入念作である。説明書は加納夏雄を「町彫最後の名人」と称する。夏雄は文政年間に京都に生まれ、幼くして刀剣商加納治助の養子となった。十二歳で金工奥村庄八のもとに入門し、十四歳の時に大月派の池田孝寿について金工技を学び、寿朗と銘し、後に夏雄と改めた。期を同じくして漢文の素読を谷森種松に、絵画を円山四条派の巨匠中島来章に習い、説明書は彼が町彫最後の名人と称されたのは「この京都時代に培われた素養によるものが大きい」とする。二十七歳の時に江戸に出て研鑽し大成した。明治に入ると新貨幣鋳造の原形製作を政府より託され、明治二十三年には東京美術学校の教授となり、同年初の帝室技芸員に選ばれた。明治三十一年、七十一歳で歿している。

その手は、謹厳な鏨に運ばれる画家の写生である。説明書は抜群の写生力と緻密な彫技の兼備を繰り返し称える。竹林七賢人の鐔については余白の美を重視した構図と清冽迫真の彫技を賞し、「気韻生動が凛々と張った名鐔である」と結ぶ。文久三年の鉄地の牡丹図鐔では、表に大輪の牡丹が初夏の微風に揺れ、裏は牡丹の葉のみを精緻な写生に基づき粛々と彫り上げる。四分一昼夜仕立ての風竹に流水図鐔については、「瞬時の写実と写意を捉えた感性と彫技は卓抜」と評する。

技法は色金と鉄にわたる。赤銅は荒し地にも魚子地にも、鉄、四分一の昼夜仕立てを用い、高彫・鋤出高彫・鋤下・鋤彫に金・銀・素銅の象嵌色絵を施し、耳は多く打返耳に仕立てる。説明書は夏雄の魚子地を数少なく前期作にまま見るものとする。色絵は時に控えめで、金一色に限りわずかに施す一口もあり、雨の表現は独特であるとされ、松・牡丹・蓮・蘭、また雁に雨を配した作がある。

説明書は彼の範とした古作を正確にたどる。文久二年の雨下帰雁泊舟図鐔は「夏雄の記録に金家風と明記されている」通り、構図と打返し風の耳の造形に金家を手本とし、安親の影響も受けたと見られる。明治十五年の鉄地の月に蘆雁図鐔では、空間を大きくとって漲る大気の層を重んずる構図、遠近法、親雁の豊かな高肉彫に、「絵風鐔の祖と称された金家を学んだ跡が歴然である」とする。画題は竹林の七賢・四君子などの漢画題から狂言「末広がり」、牡丹、柳樹白鷺、海の生物にまで及ぶ。

年紀のある作によって、その手を生涯にわたって追うことができる。四季花図の大小鐔は京都に居を構えていた二十歳代半ば、江戸出府直前の作で、夏雄の大小鐔は稀少である。安政三年、江戸に移った翌年の四君子図三所物は「左京人夏雄」と切り、夏雄の三所物の遺品として珍しい。優品の数口は文久年間の作であり、明治の鉄鐔も同じ質を保つ。明治十七年、多種の色金と貝で魚介を画面一杯に表した一口は「夏雄工芸の集大成といえる鐔である」とされる。

収集の上では、夏雄は指定の記録において頂点に立つ。特別重要刀装具は十点で、刀装具作者の中でこれに並ぶのは安親のみであり、重要刀装具は六十二点を数える。国宝・重要文化財はない。伝来の記録は乏しいが、風竹に流水図鐔は藩政時代に秋田藩主佐竹家に伝来した。指定級の在銘の夏雄は折に触れて現れる程度で、江戸後期から明治の金工を求める最も真剣な収集家に求められ、所伝の確かな一口は予期できるものではなく稀な出会いである。

歴史的重要度

夏雄の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。

随一
随一
屈指
屈指
有数
有数
著名
著名

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指定

国宝—
重要文化財—
重要美術品4
御物—
特別重要刀剣10
重要刀剣62

名工ランク

鑑定

伝来

作品種別

評価作品76点の分布

銘

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