親次は、備前長船、備中青江、備後三原などに同銘の刀工が存在するが、本作に示された作風や銘振りから、備後国の刀工と鑑みるのが妥当であろう。銘鑑には「備後三原、文和頃」の親次も記載されるが、二字銘であるという。備後三原派は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて同国で活躍した一派であり、本太刀の年紀から見て、正平頃(1346年-1370年)に活動した刀工と考えられる。同派には、親依、氏依、則次らがおり、文保、元応、嘉暦、元徳などの年紀銘を持つ作が現存することから、一派の制作年代はほぼ明らかである。
本作の太刀は、板目に杢目を交え、総体に細かく肌立ち、縮緬肌状となる地鉄に、地沸が微塵につき、地景細かく入り、地斑映りが立つ。刃文は直刃調に小丁子・小互の目が交じり、小足・葉入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかる。帽子は乱れ込み、小丸ごころに掃きかける。鎬の高い造り込みや細かに掃きかける帽子には大和気質が窺われ、備後物によく見られる大和気質と青江風の混在する出来口を示す。また、棟寄りに乱れ映りが、刃寄りには直ぐ状の映りが立つ作もみられる。
親次の作刀は現存するものが稀であり、在銘年紀入りの太刀は資料的価値が高い。作風は、一見隣国の青江派さながらであるが、大和伝の作風も取り入れた点に特色がある。現存する作例が少ないながらも、備後における刀剣史を考察する上で貴重な存在である。