江川派は甲斐国に淵源を持つ金工の一流であるが、その最も著名な工人である江川利政(桂宗隣)は安永二年(一七七三)に水戸に生まれた。利政は江戸に出て横谷英精の門に学び、横谷派家彫の正統な彫技を修得した。同門の先輩である桂永寿に見込まれて養子に迎えられ、永寿の通称左一郎を襲い、桂宗隣と改名して桂家を継承した。養父に引き続き久留米藩主有馬家の抱え工となり、以後は江川姓と桂姓を共用しながら活動した。嘉永元年紀で七十五歳、安政元年紀で八十一歳、安政二年紀で八十二歳、さらに「寿八十八歳」銘の作も知られる長寿の金工であり、その制作活動は江戸時代後期の全般にわたっている。「利」の字を冠する命名慣行は一門の系譜意識を示唆するものである。
江川派の作風は横谷派家彫の彫技を基盤としつつ、独自の個性を発揮している。地金は赤銅魚子地を基本とするが、銀魚子地や朧銀魚子地も同等の格調をもって用いられる。その上に肉置き豊かな高彫を施し、金・銀・赤銅の色金を多用した色絵と据文象嵌を加えて重厚にして華麗な画面を構成する。画題は広範にして文学的教養に裏打ちされており、水呑虎図、横谷派が得意とした牡丹に獅子図、六歌仙の意匠、伊勢物語に取材した業平東下り図、萩の名所である野路の玉川図、野田の玉川図などが見られる。また虫尽し金具の一作では二十二匹の虫を「正確な写生を基本にした動と静の姿態」で「細微に表して」おり、自然観察に根ざした写実的な一面も顕著である。百花図鐔においては四季の草花を表裏一面に高彫で表しながらも「霞を巧みに配することによって雑然とした感を避けた構図」としており、豪奢な装飾を秩序ある画面に統御する構成力が認められる。鉄地の作品では鋤出彫に肉彫地透を併用し、「透しを上手く活かして物語性を強めて」おり、水紋や霞における「鉄地への繊細な彫り」にも優れた技量を示している。家彫の彫技を基本としつつ「画題や鳥の姿態・肉置きには町彫の斬新さが窺える」と評されるように、家彫と町彫の両領域を融合した独自の境地を開いている。目貫には金無垢地の容彫を用い、立体的な造形力を遺憾なく発揮している。
江川派は江戸時代後期の刀装具史において横谷派の正統を継承しつつ町彫の革新性をも取り込んだ独自の位置を占めている。重要刀装・重要刀装具の審査においてその作品群は「品格の高い大名道具」として、また「雅びな趣きが横溢した」作として高い評価を受けてきた。百花図鐔は「同作中の白眉」と称され、六歌仙揃金具は「真価が発揮された作品」と讃えられている。安政元年に八十一歳で制作した虎図鐔・縁頭においてさえ「八十一歳とは思えぬ出来映え」と評され、「宗隣の高い技術と芸術性がよく顕現されている」と述べられている。正式大小拵から揃金具・三所物・単品の鐔に至るまで、一貫して高度な彫金技術と格調ある画面構成を示していることは、横谷派金工の伝統の中における江川派の総合的な力量を物語るものである。