この記録のうち、対馬入道橘常光と銘し元禄十一年(一六九八)紀の刀は、その茎に七十三齢とあり、この一銘から逆算して、本工が寛永三年頃の生まれであり、長命であったことが知られる。常光は姓を日置といい、通称を市之丞、のちに三郎左衛門と称し、近江国蒲生郡に生まれた。古作一文字・古備前の丁子を、中世備前の名工がその地鉄に帯びた映りごと復古しようとした江戸初期の石堂一派に属する。出羽守光平・越前守宗弘とともに近江から京都へ上り、のちに江戸へ下って、これらの工は江戸石堂として知られた。光平が源氏を名乗るのに対して橘氏を名乗り、説明書は光平とともに本工を、「江戸石堂を代表する刀工」とする。
作風は、現存する諸作を貫いて、一貫した華やかな一手を全力で焼いたものである。よくつんだ板目、しばしば杢や少しの流れ肌を交えてよく練れた小板目の地に、重花丁子・大丁子・小丁子・頭の丸い丁子・互の目・小互の目を密に交え、尖りごころの刃をも交えた丁子乱れを焼いて、焼に高低が著しく、起伏して刃を成す。足・葉が頻りに入って華やかとなり、匂勝ちに小沸つき、細かに砂流しかかり、処々に金筋が入る。説明書はかかる一口を、「常光の本領が発揮された一口」とし、また足・葉のよく入る大模様の重花丁子の作を、「常光の最高傑作というべき作品」とする。備前系の工がひとしく持つ素の丁子ではなく、この高低の著しい重花を含む密度こそが、彼の丁子を彼のものとする。
下地の地鉄は、鑑定のより確かな半ばである。よく練れた板目、穏やかな作ではよくつんだ小板目で、地沸が微塵につき、その上に乱れ映りが立つ。新刀の地に映りが立つのは稀で意図的であり、その復古は石堂一派の眼目であった。ゆえに鮮やかな乱れ映りの上に立つ華やかな丁子こそ、石堂の刀を他の新刀の丁子から分かつ第一の見どころである。説明書は最も冴えた作の映りを、「乱れ映りも鮮やかに立ち」と記し、その上に丁子を明るく焼く。帽子は乱れ込んで小丸に返り、時に表は直ぐ調に先くびれて返り、僅かに掃きかけるものもある。姿は身幅広く元先の幅差ややつき、重ね厚く、中鋒はつまるものと延びごころのものとを交える、江戸中期の刀体である。
説明書は本工を作風の発展段階としてではなく、一貫した一つの上手な作域として描き、唯一引く軸は茎から読まれる。茎は生ぶで、目釘孔の下中央に太鏨で大振りの六字銘を切り、銘の充実した作には年紀を伴う長銘がある。作には対馬椽を冠するものと対馬守を冠するものとがあり、対馬椽銘を二代とする少数説があった。鑑者はむしろ、全体の銘の調子や鏨使いから対馬椽銘が対馬守銘に相通ずるとし、前者を対馬守受領以前の作と読むことを好み、一口を「対馬守受領前の作とみたい」として、確証なく今後の新資料に俟つとする。かくて銘のみが、他に変らぬ手の作域に唯一の時間情報を担う。さらにその出自にも一つの問いが懸かる。従来は光平の兄とされてきたが、現存する年紀銘から逆算すると光平が六歳年長であり、橘氏と源氏との別から、兄弟であるという説さえ疑問がもたれている。
江戸石堂のうち常光と光平はこの派を知らせる二工であり、常光を他と分かつのは、借りものの比較ではなく彼自身の地鉄に即している。高低の著しい重花丁子の華やかな丁子乱れと、その下に立つ乱れ映りこそ鑑者の立ち返る見どころであり、繰り返される評は、その作が古作一文字を想わせるという点にある。第五十回・第三十四回重要刀剣の刀には「古作一文字を髣髴とさせる」と記し、第二十二回の作には「古作一文字を彷彿させる」と記す。新刀の鋼に焼かれ、中世の工が見知ったであろう映りの上に運ばれたこの復古の備前の語法こそ、江戸石堂がその名で記憶される作風であり、一口は端的に、「常光の特色がよく示された典型作」とされる。対馬椽・対馬守の代別の論争がもし二工に解決されればその系を延ばすことになるが、説明書はこれを、銘のみが受領とともに動いた一工として保つ。
収集の観点では、常光は江戸石堂の屈指の名であり、藤代の極めは上作である。国宝はなく、重要文化財もない。この記録の指定はことごとく重要刀剣の級を通じ、七口がこの級にあって、いずれも生ぶ・在銘の刀あるいは脇指で、大振りの六字銘を切り、数口は寛文・延宝・元禄の年紀を帯びて、その長い作歴の編年を読ませる。七口のいずれにも前所持者の記録はなく、ゆえに大名の伝来も所蔵の機関も正直には挙げられない。言いうるのは、これらが公私の蔵に保たれた指定作であり、取引されるよりは保たれることが多い、ということである。本工得意の華やかな丁子の在銘作は、その記録の多くが国の遺産として固く保たれるのではなく取引のなされる重要刀剣の級にあるがゆえに、石堂の刀の中では比較的見出しやすい方であるが、良品が市に出るのは時に、そして忍んで初めてであり、乱れ映りの上に明るい重花丁子を見せる年紀のある刀はなお相応の収集であり、江戸石堂が古作一文字の丁子を新刀において蘇らせた証である。