備後の重安は、重要刀剣に指定された在銘の四口によって知られ、いずれも「備州住重安」と同じ五字の住所銘を切る。太刀・短刀、貞治年紀の脇指、そして応安二年(一三六九)紀の薙刀直し刀である。説明書の引く銘鑑には、貞治二年(一三六三)・明徳三年(一三九二)の年紀をもつ備後の同名工が載り、年紀のない作も体配と作風からこれに該当するとされる。有銘作は乏しく、説明書もそれを明記して「現存する有銘の作は極めて少ない」とする。
所属は記録の上で揺れている。昭和四十一年・四十六年の初期の二点は三原派の工とし、短刀はとくに古三原派の作とする。後の二点は備後法華一乗派に列し、説明書は「古今銘尽」に拠ってこの派を三原物とは別の系譜とし、流祖を助国、活躍年代を南北朝末期より室町期とし、一乗・兼安・重安・重家・信兼らの作が現存するとする。いずれの読みも、彼を十四世紀の備後脇物に置く。
手そのものは作ごとに一貫している。四口すべてが焼の低い細直刃で、匂口締まりごころに小沸がつき、太刀と脇指には僅かに小足が入る。地鉄は板目が刃寄りに流れて柾がかり、白けごころがある。太刀では小板目つみて流れごころを交え、映りが立つ。帽子は太刀・短刀・脇指では直ぐに小丸となり、薙刀直しでは焼詰めとなる。説明書は法華一派の作風を同じ言葉でまとめ、板目に流れ肌を交えて白け風が立ち、ややねっとりとした肌合を呈し、焼の低い穏やかな直刃を焼いて帽子を焼き詰めるなど、「大和気質の窺われるものである」とする。短刀はその近さを示し、一見手掻物などにも紛れる出来ながら、説明書はこれを古三原派の作と極める。
この抑えのなかで、各作の違いは僅かである。脇指は身巾広く重ね薄く寸延びた平造で、表裏に護摩箸を彫り、細直刃に小互の目ごころを交えて細かな砂流しがかかる。薙刀直しは四口のうち最も力強く、身幅広く重ね厚く鎬高い。板目は肌立ちごころに地沸よくつき地景入り、鉄色黒味を帯びて白気映りが立ち、細直刃は浅く汚れごころをおびて刃縁にほつれ・喰違刃を交える。表裏に丸止めの薙刀樋と丈の長い添樋を掻き流す。太刀は対照的に、南北朝期のものとしては小振である。
説明書の評は控えめである。太刀については「地刃の出来は三原派の特色をよく示しており、なかなかよく出来た太刀である」とする。年紀ある脇指については「地刃に備後物の特色をよくあらわした資料的価値の高い作である」とする。薙刀直しについては「渋い味わいを呈している」とし、「応安二年紀は資料的に貴重で」あるとして、他に同作の貞治四年・応安元年紀が知られると記す。
かくして重安は、指定の記録の上では小さくまとまった作群として立つ。在銘の重要刀剣四口で、特別重要刀剣以上の位には及ばず、名のある所持者の伝来も記録されない。四口はいずれも原則として個人の蒐集の間を移りうる位にあるが、知られる有銘作がかくも少ないため出会うことは稀で、年紀ある一口は、その静かな備後の直刃とともに、銘鑑の欠を埋める資料としても求められる。




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