重則は鎌倉時代末期、備前国和気庄に在住した刀工で、その活躍期は正中三年(元亨四年・一三二四)および嘉暦三年(一三二八)の年紀作によって定められる。説明書は同地のもう一工、重助と並べて両者を記し、和気を古備前刀工の故地推定地の一つに挙げる。一説に重則も古備前の流れを汲むとされるが、説明書はこれを詳らかでないとする。重則の現存作のうち四口が重要刀剣を通過しており、在銘の太刀三口と、和気重則と極めた大磨上無銘の刀一口である。これらは一貫した一作風を伝え、その作を説明書は当時の長船正系に近いものとし、最上手を真長・景光さながらと評するが、地刃にはより静かでいささか野趣のある性格があり、長船本流ではなく和気の工たることを示す。
鑑識の核は刃文にある。細直刃を基調とし、小互の目・小乱れ・小丁子のみを交えて、長船正系の高い丁子乱れには至らない。小足よく入り、無銘の刀には葉も入り、匂勝ちに小沸つく。匂口は締まりごころで時にうるみ、最も新しい一口では明るく、金筋・砂流しがかかり、最古の太刀では金筋が腰元に入る。説明書はまさにこの、こずんだ乱れに小互の目を交えるところを、和気一門の特色が現れる点とし、鎌倉末期の長船物に近似しつつもその満開には至らぬ刃と読む。
地鉄が鑑識のもう半ばを担う。小板目から板目に杢を交え、肌立ちごころに地沸つき、地景入り、地斑・大肌・澄肌を交える。この地に乱れ映りが明らかに立ち、これが重則を長船正系の傍に置く備前の地の継承である。無銘の刀は鍛えが総体に細かくやや肌立ち、刃縁に細かな沸ほつれを生じて地刃に野趣があり、説明書はまさにここに「ここに和気の極めが首肯される」と記す。帽子は刃文の静けさに応じ、浅くのたれ或いは直ぐ調に小丸に返る。
四口は段階ではなく一つの作風を引く。姿は終始鎌倉末期の太刀で、鎬造、概ね細身、腰反りに踏張つき、小鋒から中鋒、いずれも磨上ないし大磨上である。在銘の作は棟寄りに銘を切り、第二十四回・第五十六回の太刀は二字銘の重則、第三十一回はやや細鏨の長銘、備州和氣住重則で一部朽ちる。第五十六回の在銘ながら細身の太刀を、説明書はその寸ではなく証として重んじ、和気重則の在銘品は稀有であり同工及び同派の作風を知る上で大変貴重な資料とする。第五十九回の無銘の刀はその対であり、銘ではなくその野趣ある刃縁の鑑識によって和気と極められた、しっかりとした長寸の一口である。
重則を分かつのは、近い手本に対する程度の差である。乱れ映りの地と直刃の小互の目は彼を鎌倉末期の備前刀工に置き、説明書は二度その作を当時の長船物に近いものとし、第三十一回の太刀を「真長・景光さながらの出来」と読み、「重則の上々作と称してよく」、銘文が少し朽ちる点も苦にならないとする。しかし同じ説明書は彼を本流から慎重に分かつ。こずんだ乱れ、絶えぬ小互の目、刃縁の野趣こそ和気の手の現れるところであり、長船正系と並びその手で作りながらも、それに完全には属さぬ古備前流の傍系の証である。
記録に残る四口はすべて重要刀剣の列にあり、国宝・重要文化財・特別重要のいずれもなく、これが重則の遺された全作である。在銘はさらに稀で、四口中三口に名があり一口は無銘の極めである。説明書は大名伝来を記さず、これらに所蔵機関の名も挙げず、在銘の和気重則はそれ自体が稀有であるから、在銘太刀三口の現存こそ注目の点である。本工の刀は容易に出会えるものではなく、現れれば重要刀剣の位にあり、著名な名としてよりも、なお記録の及ぶ小さな半ば未詳の備前一派の手を伝える証として貴ばれる。鎌倉末期備前の学徒にとってこの稀少さこそ魅力であり、現存する重則の各口は和気工房の一次資料であって、第五十九回の無銘の刀、すなわち「刃縁には一際光の強い刃沸がきらめき」優れた出来映えを示す一口は、その回復された手の達し得た最良の証である。