一宮長常は、享保六年(1721年)に越前敦賀に生まれ、柏屋忠八と称した。鍍金師から後に京に上り、後藤系の保井高長に師事し、初期には雪山と銘した。後に長常と改名し、含章子と号した。絵画を円山応挙の師である石田幽汀に学んだことでも知られる。明和七年(1770年)に越前大掾を受領し、後に越前守に転じた。天明六年(1786年)に六十六歳で歿した。同時代には鉄元堂正楽、大月光興らがおり、「京都金工の三傑」と称えられた。
長常は後藤流の高彫も上手であるが、平象嵌に片切彫で名を馳せた。作風は、四分一磨地、赤銅魚子地などを素材とし、高彫、平象嵌、色絵、片切彫など多様な技法を駆使する。特に片切彫においては、力強く深い鏨から、細微のさらりとした使いまで、深浅自在の技量を示す。平象嵌を施した上から鏨を利かせる点も特徴である。図柄は、人物、動物、風景など多岐にわたり、写生に巧みで、特に花鳥風景を得意とした。鐔においては、図柄が耳へと継承する意匠も見られる。
長常は、「東の宗珉、西の長常」とまで謳われた名工であり、その作品は、確かな彫口、深浅自在の片切彫、平象嵌による着色の巧みさなど、高い技術と芸術性を示すものとして評価されている。晩年の作においても、その鏨は勢いを失わず、巨匠と仰がれる所以を実感させられる出来映えである。後藤流の伝統を受け継ぎつつ、独自の作風を確立し、京都金工の発展に大きく貢献した。