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概要·鑑定·指定·伝来·刀姿·銘·系譜·流派
概要鑑定指定伝来刀姿銘系譜流派
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  3. 虎徹

Kotetsu

虎徹

特重
巻 21, 番 32 · 刀

Kotetsu

虎徹

評価作品129点

国武蔵時代Joo (1652–1655)時代区分江戸流派Kotetsu伝法Shinto代1st藤代最上作刀工大鑑1,800(上位3%)種別刀工コードKO29
5重要文化財
10重要美術品
2御物
10特別重要刀剣102重要刀剣

概要

「長曽祢虎徹は元、越前の甲冑師であり、明暦二年頃、彼が五十歳位の時江戸に出て刀鍛冶に転じた」。説明書がほぼ一口ごとに誦するこの一文が伝記の背骨である。通称は三之丞と伝え、興里と名乗り、入道して虎徹入道と号した。年紀作は明暦二年(一六五六)に始まり、歿する前年の延宝五年(一六七七)に終わる。名声の由来も説明は具体的に記す。「甲冑師としての鉄処理の巧みさがあり、彫刻を得意として、数珠刃という斬新な刃文を創意工夫したことから名声をはせた」。現代の説明はこれを「新刀随一の人気工」と呼ぶ。

作風の定位は一文に尽きる。「彼の作風は地鉄が強く、地刃が明るく冴えるのが特色」であり、「その作刀の多くに焼出しがあり」、後期には「数珠刃と呼ばれる独得の互の目乱れ」、すなわち焼頭の丸い互の目がほぼ一直線に連れる刃文を本領とした。足太く頻りに入り、匂深く、小沸が厚くつき、金筋・砂流しが細かにかかり、匂口は明るく冴える。帽子は直ぐに小丸を常とし、後期にはしばしば「横手を互の目で焼き込む乕徹独特の所作が看て取れる」。

地鉄は甲冑師の遺産である。明暦二、三年頃の初期作について説明は「地鉄の鍛は同作中でもよく、よくねれて極めて強い」と記し、中程に大肌が現われ、いわゆるテコ鉄が地に交じる。大成期には小板目肌が最もよくつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、かねが冴え、処々に地斑が残る。彫物は自身彫で、倶利迦羅を見事な欄間透にあらわした初期作には記内彫の特色が読まれ、「同作彫之」の添銘は後に「彫物同作」となり、選ばれた作には「真鍛作」が加わる。

編年はほぼ銘振りそのものである。初め「古鉄」の字を用い、後に虎徹の文字をあて、寛文四年(一六六四)八月からは乕徹の字を使用し、同月には両様が併存する。前期には「瓢箪刃と称される浅い互の目が二つずつ連れた刃」を焼き、それは「万治の末年乃至寛文初年頃に多くみられる刃文」と編年される。後期の数珠刃は「いわゆる寛文新刀の典型的な姿」の上に載る。「虎徹は寛文十年以後、延宝二、三年頃までがその大成期である」が、寛文八年頃の作も「多く匂口の締つたものであり、華麗さは乏しくとも堅実なものが多い」とされ、延宝三・四年頃の最晩年作は「全く円熟の作である」と評される。直刃は稀で、「同工がこの種の作柄を手懸けた場合、匂口がしまりごころとなるのが通例」とされ、短刀は「極めて少なく恐らく十口に及ばない」。短刀では地斑が目立ち、相州伝が強く感じられ、その狙いは江辺かと読まれる。

截断銘はいま一つの銘である。指定品の多くに山野加右衛門永久・山野勘十郎久英の金象嵌截断銘が入り、貳ツ胴・三ツ胴の試しが日付まで刻まれる。これは銘ではなく利刃の証明であって、自身の銘と並んで茎に共存する。刀より脇指が多いのは「武士の注文よりも富商の注文が多かったが為であろう」と読まれる。重要美術品の解説には本間順治の定位が残る。「東の虎徹と西の助広並びに真改とともに第一人者であることは無論である」。同文は「その市価が古名刀を凌駕する」現状を不当とも断ずる。門下には養子で二代虎徹を継いだ興正のほか興直・興久があり、興直は師の存命中の代作の手と読まれる。

藤代の格付は最上作。指定を受けた作は一二九口、うち重要文化財五口、特別重要刀剣十口、重要刀剣百二口(特重・重要で計一一二口)、戦前の重要美術品十口を数える。在銘一一五口に対し無銘は僅か一口で、銘の編年がそのまま鑑定の地図となる。伝来は肥前鍋島家・島津家・小田原大久保家・宇和島伊達家・加賀前田家・皇室を貫き、山田朝右衛門家所持の一口があり、戦前に宰相を務めた犬養木堂は延宝五年頃の風神雷神彫の脇指を所持し、寛文元年紀の一口は塚本美術館に蔵される。重要文化財は文化財として市場の外に保たれ、その余の大半は特重・重要の指定の下に永く私蔵される。真の虎徹が市に現れることは稀であり、現れれば市場の頂点に立つ。寛文新刀の姿に数珠刃、強く明るい地鉄とくれば、銘を見る前に虎徹と読まれる。

鑑定

説明自身が繰り返す前後二期の型。前期(明暦二年〜寛文四年頃)は大小の互の目が繋がり焼に高低のある瓢箪刃、後期(寛文四年〜延宝五年、ハコトラ期)は焼の出入りに変化が少なく焼頭の揃う数珠刃を本領とする。その傍らに稀な直刃の一類と地斑の目立つ僅かな短刀が立ち、銘の変遷(古鉄・はね虎・はこ虎)がほぼそのまま編年となる

長曽祢興里入道虎徹は越前の甲冑師で、明暦二年(一六五六)頃、五十歳位で江戸に出て刀鍛冶に転じた。この転身が全ての鍵である。甲冑師としての鉄の処理の巧みさが名高い強靱な地鉄を、越前彫(記内彫)の修業が見事な彫物を生み、山野加右衛門・勘十郎の金象嵌截断銘がその利刃を証明する。年紀作は明暦二年から延宝五年(一六七七)に及ぶ。説明は二様の作風を明言する。前期には大小の互の目が繋がった瓢箪刃を、寛文四年(一六六四)頃からの後期には、焼頭の丸い互の目がほぼ一直線に連れる、彼が創意工夫した独特の数珠刃を、直ぐの短い焼出しの上に焼き、匂口は明るく冴える。帽子は横手を互の目で焼き込む独特の所作を見せ、ほぼ全作在銘で、銘字自体が「古鉄」から「はね虎」、「乕徹(はこ虎)」へと変遷する。

鑑定の決め手

新刀の同時代既収録工(堀川国広・康継・繁慶)にはない特徴

新刀の既収録工にはない特徴

作品の34% ・ 堀川国広比 8.5倍

新刀の既収録工にはない特徴

作風の変遷

古鉄期(甲冑師からの転身初期、明暦二年〜万治頃)

最初期の銘。「古鉄」の字、平仮名の「おくさとふるてつ入道」銘、彫物の「同作彫之」添銘。茎先の片削はこの頃に見られる特色と明記され、山野加右衛門の截断銘は早くも万治元年(一六五八)に始まる

第一の作域、明暦二・三年から万治頃。身幅広く先反りの強い大鋒の平造・冠落造の豪快な脇指が主である。地鉄は正に甲冑師のもので、「地鉄の鍛は同作中でもよく、よくねれて極めて強い」と明記され、中程に大肌が現われ、テコ鉄(甲冑師鍛えの梃子鉄)が地に交じる。刃文は下半浅いのたれ、上半互の目乱れ、全体に砂流しがかかり、処々荒めの沸がつき、帽子は僅かに乱れ込み、長く焼き下げる。欄間透の倶利迦羅や仁王の彫物は越前彫(記内彫)の修業そのままと読まれ、山野加右衛門永久の金象嵌截断銘がその利刃を証明して名声の基となった。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

ハネ虎期・瓢箪刃(万治二年〜寛文四年)

「ハネ虎」銘。万治二年(一六五九)から寛文四年(一六六四)八月までの平仮名交じりの虎銘で、「興」の字を「おく」の字風にきり、「入道」を最下に置き、彫物の添銘はなお「同作彫之」の形をとる

前期様式の本体。説明の定型句が前期全体に宛てる作風で、小のたれに互の目を交えて焼に高低があり、刃中どこかに大小の互の目が二つずつ繋がった瓢箪刃が現われる。重要刀剣の一口はこの刃文を「万治の末年乃至寛文初年頃に多くみられる刃文」と正確に編年する。作刀の多くに焼出しがあり、匂口は締まりごころを見せ、身幅広く大鋒の堂々たる脇指の造込みは初期から続く。這龍・大黒天・仁王などこの期の彫物は最も華やかである。

地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

ハコ虎期・数珠刃(本領、寛文四年〜延宝五年)

寛文四年八月以降の「乕徹(はこ虎)」銘。鎬筋を中心に細鏨で「長曽祢興里入道乕徹」等の長銘をきり、しばしば「長」の字を目釘孔にかけ、彫物の添銘は「彫物同作」となり、選ばれた作には「真鍛作」の添銘が加わる。無銘年紀の作も銘振りのみでほぼ一年単位に編年される

本領にして教科書の虎徹。姿は寛文新刀の典型で、反り浅く、元先の幅差がつき、腰元に踏張りがあって中鋒がつまり、手持ちはズッシリと重い。鍛えこそ彼の本懐である。小板目肌が最もよくつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに頻りに入り、かねが冴え、処々に梃子鉄風の地斑状の肌合が交じる。刃文は直ぐの短い焼出しに始まり、直刃調または浅いのたれを基調に、焼頭の丸い互の目がほぼ一直線に連れる、彼が創意工夫した数珠刃となり、足太く頻りに入り、匂深く、小沸が厚くつき、金筋・砂流しが細かにかかり、匂口は明るく冴える。帽子は直ぐに小丸、先掃きかけ、この期にはしばしば横手を互の目で焼き込む、いわゆる乕徹帽子の独特の所作を見せる。説明は寛文十年以後、延宝二・三年頃までを大成期とし、延宝三・四年の最晩年作を円熟と評する。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
稀な直刃の作域— 「彼としては比較的珍しい直刃の作例」と呼ばれる小さな一類。瓢箪刃とも数珠刃とも別格とされ、「同工がこの種の作柄を手懸けた場合、匂口がしまりごころとなるのが通例」と明記される
短刀・平造の作域— 短刀の現存は「恐らく十口に及ばない」とされる。「短刀では特に地斑の目立つものが多く、匂口が深く荒目の沸がつき、砂流し、金筋の交じるものがあって相州伝が強く感じられる」と明記される
研究

銘の変遷はそのまま編年の装置であり、ほぼ全ての説明が誦する。「その初めは古鉄の字を用い、後に虎徹の文字をあて、さらに寛文四年八月からは乕徹の字を使用している。年紀作では明暦二年が最初期であり、その最終は延宝五年である」。

漢字の内側で仮名の編年がさらに細かく走る。「ハネ虎銘は万治二年(一六五九)から寛文四年(一六六四)の間にあるが、延宝年間のハネ虎銘は珍らしい」とされ、ハネ虎がハコ虎に改まる寛文四年八月吉祥日紀の脇指には、完成された数珠刃の予兆が読まれる。

現存の形も記録される。刀より脇指が多いのは「武士の注文よりも富商の注文が多かったが為であろう」と読まれ、短刀は「恐らく十口に及ばない」、太刀は更に稀で「同作中太刀の遺例は僅少で、経眼四口に過ぎない」とされ、延宝元年紀の太刀は一口を見るのみである。

彫物は自身彫である。初期の「同作彫之」添銘は後に「彫物同作」となり、選ばれた鍛えには「真鍛作」の添銘が加わり、添銘のない彫物さえ鏨の冴えから同作と断じられる。透彫は越前記内派に遡り、初期の仁王彫の一口は日光東照宮奉納の二代康継に倣ったかと読まれる。

文献の装置も異例に厚い。重要美術品の解説は一口ごとに「虎徹大鑑」や「長曽祢虎徹の研究」を挙げ、編者は自らの限界も記す。鑢目や銘の横線の切り方から「編年に直ちに当てはめることは難しい」と保留する一口がそれである。

指定

国宝—
重要文化財5
重要美術品10
御物2
特別重要刀剣10
重要刀剣102

名工ランク

0.53 (指定作品129点)

刀工の上位5%

伝来

伝来記録21件 の鑑定作品における Kotetsu

伝来ランク

名家所蔵7点、伝来記録21件

刀工の上位12%

素点:2.38 / 10

刀姿

評価作品129点の分布

銘

評価作品129点の銘の種類

販売中

系譜

Kotetsu
弟子(3名)
  1. 1.興正Okimasa26指定
  2. 2.興久Okihisa2指定
  3. 3.興直Okinao1指定

Kotetsu派

Kotetsu派の他の刀工

  1. 1.興正Okimasa26指定
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  3. 3.興久Okihisa2指定
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