嘉元二年卯月の年紀を切る長寸の太刀に「九郎左衛門尉久信作」と銘があり、この一銘が了戒派の歴史の一問題を定めた。了久信は山城の来の分派了戒派の祖了戒の子で、作刀の年紀に嘉元・徳治・延慶等があり、鎌倉時代末期、父とほぼ同年代に置かれる。説明書はその作風を「父了戒に近似する直刃調の出来口」とし、ほぼ毎回「在銘作の現存は極めて少ない」と付け加える。徳川美術館所蔵の薙刀の銘文に「了戒子息久信作 徳治三年戊申十月六日」とあり、了戒の子であることが認められる。
嘉元の太刀は彼の俗名を明かした。説明書によれば、これまで重文指定の「山城国住人九郎左」と銘する太刀は了戒単独の作で、九郎左衛門は了戒の俗名であろうと解されていたが、本作の出現によりこれが了戒と子息了久信の合作であることが明確となった。それゆえ「その意味でも本太刀の存在意義は大である」とされ、「数少ない同工の有銘の作として資料価値は頗る高い」と評される。身幅広めの長寸で反り深く腰反りに踏張りつき小鋒、佩表に梵字と素剣、佩裏に梵字と護摩箸を彫り、地刃に此の工の特色がよく示される。
鍛えは小板目あるいは板目が流れて柾がかり、処々肌立ちごころとなり、地沸細かにつき、六口中五口に了戒一派の白け映りが立つ。生ぶの太刀の一口では区際より直ぐ状に映りが出て、上の方白け映りに繋がる。刃文は中直刃・細直刃、あるいは直刃調に小互の目・小乱れごころ・小丁子ごころを交え、小足・葉入り、小沸つき、刃縁ほつれ、匂口処々うるむ。小太刀の一口は下半に二重刃を見せる。帽子は直ぐに小丸。在銘の太刀について説明書は「総体に了戒一派の特色がよく表示された出来口である」とする。
指定作は在銘と極めとに分かれる。細身で輪反り風つよい在銘の小太刀は、生ぶ茎で銘字の保存もよく、「数少ない同工の有銘作として貴重であり」、作風は父了戒を想わせる。精美な小板目鍛えの生ぶ無銘の太刀は、足・葉の働きが多く匂口の塩相もよく、「同工極め中にあって特に優品といえる」。本間による御物台帳に所載の延慶三年紀の小振りの在銘短刀は別格で、つんだ小板目に乱映りが立ち、小のたれに互の目交りの匂出来で、来国俊に見ると同じく焼出を焼込む。台帳は銘振に疑う余地はないとしつつ、匂口の締った乱刃は了戒とは直ちに見にくく、或は古い再刃ではないかという疑問が残るとする。
説明書は鑑定を母体の来国俊に対して定める。大磨上無銘の刀について、細直刃の小互の目やほつれなどの刃境の変化は「来国俊に比してやや蕭然たるもの」とし、匂口ややうるみ、白け風の映り立ち、直ぐに小丸に返った穏やかな帽子とあわせて、了久信の極めは正しく首肯されるとする。そして「静閑な細直刃ながらも微細な働きをみせる」味わい深い優品と結ぶ。父との分かれ目は特徴よりむしろ銘にあり、説明書は子の作を父に近似するものとする。
藤代の極めは上々作、刀工大鑑は八百点とする。指定を受けた作は六口で、重要刀剣五口(うち在銘三口)と御物台帳所載の延慶の短刀一口である。指定作に伝来の所持者は記録されない。在銘の久信は稀で、それ自体とともに資料としても重んじられ、在銘・極めの重要刀剣も市に現れるのは時折にとどまる。