小田派は江戸時代後期における薩摩金工界を代表する流派であり、知識派と並んで薩摩装剣具製作の双璧をなした。開祖小田直香は宝暦年間(一七五一~一七六四)から活躍し、その子直教、さらに直升・直昇・直堅等の巧者を輩出して、薩摩武士の気風を反映した芸術性の高い作品を数多く残している。薩州住を冠する銘文を用い、質実剛健を旨とする島津藩の士風に応える作品を制作した。直教は父に学ぶと同時に後藤光理門の田中盛征に師事した経歴を持ち、後藤家の技法を摂取しつつ独自の様式を確立した。
小田派が得意とした図柄は、鉈豆・竹割り虎・砂くぐり龍などであり、これらは薩摩の名産や朝鮮役の武勲を案配したものとされる。鉈豆は莢の形が刀に似て「出陣しても無事帰る」と縁起が良く、武士好みの意匠であった。技法的には鉄地で丸形に造り、肉彫にして地を透す工法を特徴とし、鉄錆には黒味があって精悍である。初代直香の作風は力強く堂々としており、銘振りも同様であるが、二代直教は精巧さが増して細工も細かくなり、画題も時流に合わせて「牡丹に獅子」「十二支」「黄石公張良」など絵風が加味された。直香の剛健な肉彫地透に対し、直教は細密な彫法と象嵌色絵を駆使し、耳には金覆輪を施すなど、後藤風の影響が窺える精緻な作柄を見せる。直堅に至っては、島津家重臣の特別注文品として赤銅魚子地を用いた極めて入念な作例も残している。
小田派の作品は、単なる装飾性を超えて薩摩武士の精神性を体現しており、写実の技と剛柔兼備の表現において卓越している。直香の「竹割猛虎図鐔」は小田鐔の代表作として名高く、如何にも武骨ながら薩摩の士風を感じさせる躍動感に満ちている。直教の「群猿図透鐔」には天明四年(一七八四)の年紀があり、矢上一派の専科とされた「千疋猿」を薩摩で制作した貴重な資料である。これら小田派の作品群は、地方金工でありながら江戸の後藤家の技法を吸収し、薩摩独自の様式として昇華させた点において、日本刀装具史上重要な位置を占める。質の良い鉄地に施された高彫地透の技術、金銀象嵌色絵の配分、そして耳際の肉を卸して独特の丸味をつける造形感覚は、小田派の真骨頂として今日まで高く評価されている。