古甲冑師とは、甲冑を製作する工人が余技として鐔の制作を行った一派をいい、中でも桃山時代以前のものを古甲冑師と称する。彼らが兜の板金や甲冑の小札、あるいは面頬を鍛える技術を鐔の製作に応用したものと見られ、その起源は南北朝時代乃至室町時代初期まで遡る。打刀鐔の始まりは刀匠が自ら作鐔を添えていたが、帯刀者が実用と同時に鑑賞品としての鐔を求めるようになると、甲冑師や鏡師などが余技的に製作し、殊更に雅趣ある鐔が出現した。
作風の特徴としては、大振り丸形薄手の板鐔で、よく鍛えられた鉄地を用いて耳際を厚く造り込み、深い土手耳または桶底耳を廻らせた無象嵌の作である。平地には槌目や時雨鑢を施し、菊花・車・花卉文・沢瀉草花図・吉祥文・六字名号などの意匠を陰透または地透で表している。これらの透彫された文様や文字からは、戦国武人の思想や信仰を窺い知ることができる。深く染み込んだ鉄錆と点在する黒漆が程よく馴染み、古鐔特有の枯淡な美しさと雅趣が静かに伝わってくる。
その意匠は素朴でありながら力強く、また風雅を愛する武人の心のたしなみが感じ取れる。沢瀉は別名を勝軍草ともいい、武人が好んでこの文様を用いたといい、六字名号は浄土宗や浄土真宗の教えを表している。明日をも知れぬ戦いに身を置いた武人の殺伐とした心に安らぎを与えた花卉文透は、均整の取れた花弁の透しによってややもすると鈍重な印象を与えがちな大振りの鐔を軽やかなものにしている。素朴な意匠の中に野趣と雅味を共存させた妙味ある作風であり、戦国武人の強靭な精神と信仰心、そして雄渾闊達な気概が今に伝わってくる。