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概要·鑑定·指定·伝来·刀姿·銘·系譜
概要鑑定指定伝来刀姿銘系譜
  1. 流派
  2. 尻懸
  3. 則長

Shikkake Norinaga

則長

特重
巻 9, 番 13 · 太刀

Shikkake Norinaga

則長

評価作品46点

国大和時代Bunpo (1317–1319)時代区分鎌倉流派Shikkake伝法大和伝代1st藤代Jo saku刀工大鑑1,800(上位3%)種別刀工コードNOR237
5重要文化財
3重要美術品
2御物
6特別重要刀剣30重要刀剣

概要

則長の生涯は、行年を添えた二口の短刀によって異例の精度で定まる。文保三年(1319)紀に四十八歳、暦応三年(1340)紀に六十九歳とあり、各説明書はこれより逆算して文永九年(1272)の生まれとする。暦応元年(1338)紀の生ぶ薙刀が第三の年紀を加え、元徳年紀は光山押形に所載される。大和国尻懸の住人であり、千手院・当麻・保昌・手掻と並ぶ大和五派の一つ尻懸派について、説明書は繰り返し同じ一文で書き起こす。すなわち尻懸派は「則長を事実上の祖として栄えた」。銘鑑は父・則弘を祖と伝えるが、則弘に確実な現存作はなく、一派は子の則長の上に定まる。同銘は鎌倉末より室町時代に亘って継承され、その代別はなお未解決の問題とされる。

その手筋は大和物の中でも最も名指ししやすいものに属する。説明書の定式はまず、鎬が高く鎬幅が広い造込み、板目が流れごころとなる鍛え、直刃基調の刃文という大和物一般の枠組を述べ、次いで決め手を明文化する。「刃中に小互の目を連れて焼く点に特色」が見られるのである。ある重要刀剣の説明はこれを序列にまで高めて、大和五派の作中「最も互の目の目立つものが尻懸派の作であり、その中、最も技術の優れているものが則長」であると記す。典型作では連れた小互の目が元から先まで続き、刃縁はほつれ・喰違刃・打のけとなり、沸が厚く、物打辺では時に荒沸を交え、金筋・砂流しが頻りにかかる。帽子は直ぐに盛んに掃きかけ、小丸あるいは焼詰めごころに結び、特別重要の一口では火焔状となる。さらに静かな目印として「匂口の沈みごころの点も見のがせない」と付け加えられる。

この刃を支える地鉄は、総体に流れて柾がかる板目で、地沸が厚く、細かな地景が入り、処々肌立つ。最良の作では沸映りが鮮明に立ち、特別重要の一刀には地鉄のやや黒ずむものもある。第二十四回特別重要の太刀は、小板目がつみ、鉄色明るくよく錬れた鍛えに、刃縁に「光美しい刃沸が厚くついて明るく冴え渡り」と、同工の最上作に与えられる言葉で述べられる。鋼の強さ自体が派内の見どころでもあり、紀伊大納言頼宣の指料と伝える重美の薙刀直しは「常の尻懸より地鉄が強く、刃中の沸も強い」と特記される。

作域は明確な区分をなす。手掻包永と並んで大和物中比較的有銘作が多く、長銘は「大和則長作」「大和尻懸住則長作」「大和左近允則長作」の諸形式をとり、「初代と鑑せられるものに二字銘はない」とされる。太刀は多く磨上で、銘は茎先の棟寄りに残り、短刀は生ぶ茎の中央に長銘を切る。指定作中、在銘二十五口に対し無銘十二口である。無銘の極めには本阿弥家の極銘が伴う。象嵌銘が極めて少ないとされる光室の金象嵌、天和三年(1683)二十枚の折紙を伴う光常の金象嵌、光遜の金粉銘と朱銘、そして光室か光温の手と推される失われた寛永十二年(1635)の折紙である。定式自らが「直刃出来の作もある」と留保する作域もあり、西蓮の古極めのあった細直刃の薙刀直し、六十六歳・暦応元年紀の穏やかな生ぶ薙刀、連れた小互の目があまり看て取れない六十九歳・暦応三年紀の冠落造短刀がこれに当たる。長柄物は一派の得意とするところで、暦応元年の薙刀は銘文も資料的に貴重な生ぶのまま伝わり、他は脇指に直され、その「薙刀樋に添樋も力強く」掻かれて大和物の彫物の特色を示す。代別はなお定まらない。古来の説は尻懸を冠しない銘を初代、冠する長銘を二代以降とし、左近允銘を二代・暦応頃と読み、銘鑑は三代を応永、四代を永享とする。しかし第四十七回重要の短刀は、暦応三年・六十九歳の年紀をもちながら尻懸を冠して銘しており、説明書自身が旧説に躊躇を示し、「則長の代別について、さらなる検討を促す貴重な資料」と呼ぶ。降って室町初期には、生年六十二歳の後代が春日奉納の短刀に銘している。

説明書は彼を隣人によって位置づける。当麻に対しては、第九回特別重要の説明が引く古伝書が、尻懸はすぐ焼刃で当麻と紛れる出来であるが「当麻ほどは地つまらずしてしほ相うすく、位のおとるを以て尻懸と知べし」と説く。手掻に対しては序列が明文化され、「技術も手掻包永につぐものがある」とされた上で、相違が列挙される。「則長の方が鍛が肌立つて冴えが足りず」、刃文は互の目の乱刃が目立ち、包永が二字銘のみであるのに対し則長には長銘がある。包永が手掻にとってそうであるように、則長は尻懸にとって、一派の技術と有銘の記録の双方を担う刀工であり、直刃の枠に連れた小互の目をもって大和の他のいかなる手からも分かたれる。

藤代の極めで上作。指定を受けた作は四十六口である。うち五口は重要文化財として市場の外に保存される文化財であり、その下に特別重要刀剣六口・重要刀剣三十口、両格で三十六口が連なり、ほかに重要美術品三口がある。十二口が大名家以来の伝来を記録する。安永三年(1774)に十代将軍家治より贈られたと腰物帳に記され、後に徳川家達の有に帰した旧将軍家の太刀。元禄十一年(1698)に将軍綱吉より美濃高須藩祖・松平義行が拝領し同家に伝来した太刀。江戸期の打刀拵を伴って加賀前田家に伝来した現存稀な左近允銘の太刀。紀伊大納言頼宣の指料と伝え、後の所有者が将軍家の太刀と大小にして愛蔵した薙刀直し。毛利家旧蔵の太刀。本多中務少輔忠刻所持の金象嵌を残す一口。記録された所有者には伊達家・皇室の名も見える。現在の所在が記録されるものは、伊勢神宮、東京・京都の両国立博物館、静嘉堂文庫、黒川古文化研究所、ボストン美術館などに収まる。蒐集家にとっての算術は厳粛である。特別重要・重要の諸刀の多くは秘蔵されて市に出ず、連れた小互の目をもつ極めの刀が現れるのは時折に過ぎない。指定の在銘作は二十五口ほどで、その多くが社寺・美術館や旧家に伝わる以上、在銘の一口は真の稀品であり、年紀作はさらに稀である。

鑑定

典型一相(柾がかる板目鍛えに直刃調・小互の目連れの刃。在銘・無銘の両域)+定式自らが留保する穏やかな直刃出来の作域+薙刀・薙刀直しの造込(薙刀樋に添樋)+同銘の継承(左近允は二代と読まれ、降って室町初期の後代作)

則長は行年を添えた短刀二口(文保三年1319・四十八歳、暦応三年1340・六十九歳)の逆算により文永九年(1272)の生まれ。大和五派の一つ尻懸派の事実上の祖である(銘鑑は父・則弘を祖とするが、則弘に確実な現存作はない)。作風は大和五派中最も互の目の目立つもので、鎬高く鎬幅広い造込み、板目が流れて柾がかり地沸の厚くついた鍛えに、直刃調の刃中に小互の目を連れて焼き(本文の22%、来国俊では皆無)、刃縁にほつれ・喰違刃・打のけがかかり、沸深く金筋・砂流しが頻りに働き、帽子は盛んに掃きかけて焼詰め風に結ぶことが多い。手掻包永と並んで大和物中比較的有銘作が多く、磨上げられた太刀でも長銘が茎先の棟寄りに残るのが常で、技倆は包永につぐと評され、同銘は室町期まで継承される。

鑑定の決め手

作品の22% ・ 志津兼氏(大和に学び相州に転じた)比 22.0倍

作品の36% ・ 来国俊(京物との対照)比 3.3倍

作品の76% ・ 来国俊比 3.2倍

包永と並んで大和物中比較的有銘作が多い。長銘は「大和則長作」「大和尻懸住則長作」「大和左近允則長作」など、初代と鑑せられるものに二字銘はない。行年を添えた短刀二口(文保三年・四十八、暦応三年・六十九)より生年は文永九年(1272)と判る

作風の変遷

典型=直刃調の刃中に小互の目を連れて焼く

各説明書が定式として掲げる典型。造込みは鎬高く鎬幅広く、鍛えは板目が総体に流れて柾がかり、地沸厚く地景細かに入り、処々肌立ち、最良の作では沸映りが鮮明に立つ。刃文は直刃調に浅くのたれごころを帯び、刃中に小互の目が元から先まで連れて交じり、刃縁はほつれ・喰違刃・打のけがかかり、沸厚く時に荒沸となり、金筋・砂流しが頻りにかかる。帽子は直ぐに盛んに掃きかけ、小丸あるいは焼詰め風に結ぶ。直刃の刃中に連れた小互の目こそ尻懸を大和他派から分かつ大きな見どころとされ、大磨上無銘の刀の極めはこれに依る。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
大磨上無銘の刀(本阿弥家の極め)— 無銘18口。金象嵌7・金粉銘3・朱銘3。本阿弥光室(象嵌銘は極めて少ないとされる)・光常・光遜の極め、光温の折紙を伴う
在銘作=磨上げても茎先棟寄りに長銘の残る太刀、生ぶ茎の短刀— 長銘は「大和則長作」「大和尻懸住則長作」「大和左近允則長作」など(45口中長銘12・生ぶ茎11)。太刀は多く磨上で銘は茎先の棟寄りに残り、短刀は生ぶ茎の中央に長銘を切る

穏やかな直刃出来の作域(定式の言う「直刃出来の作もある」)

ほぼ全ての説明書が定式の末尾に「別に直刃出来の作もある」と留保する。本コーパスでは、西蓮の古極めのあった細直刃の薙刀直し、六十六歳・暦応元年(1338)紀の生ぶ薙刀(直刃の穏やかな作)、六十九歳・暦応三年(1340)紀の冠落造短刀(連れた小互の目があまり看て取れないと特記される)がこれに当たる。年紀のある二例はいずれも晩年に当たるが、説明書はこれをもって編年を立ててはいない。

刃文 Hamon

薙刀・薙刀直し=尻懸の長柄物

暦応元年(1338)紀の生ぶ薙刀一口と、脇指に直された薙刀直し四口。薙刀樋に添樋が繰り返し見られる

鎌倉末期の古い薙刀で、生ぶのまま残るのは銘文も資料的に貴重とされる暦応元年(1338)紀の一口のみで、他は脇指に直されている。薙刀樋に添樋が力強く掻かれ、大和物の彫物の特色を示すと特記される。紀伊大納言頼宣の指料と伝える重美の薙刀直しは「常の尻懸より地鉄が強く、刃中の沸も強い」と評され、第六十二回重要の二口は常より刃幅広く、典型の小互の目連れを示す。

刃文 Hamon

同銘の継承=左近允と後代

確証はやや弱い左近允銘の太刀二口(古来の説に二代・暦応頃)、南北朝中期・末期と鑑せられる作、室町初期の奉納短刀

同銘が鎌倉末より室町期に亘って継承されたことは各書の繰り返すところ。古来の説では尻懸を冠しない銘を初代、冠する長銘を二代以降とし、左近允銘を二代・暦応頃と読み、『鍛冶銘早見出』は三代を応永、四代を永享頃とする。作品にもその継承が現れ、本阿弥朱銘の短刀は初代より時代がやや下がると鑑せられ、棟焼と角張る刃をもつ生年六十二歳・懐俊銘の春日奉納短刀は室町初期の後代作とされ、南北朝中期・末期と鑑せられる在銘作もある。一方、第四十七回の短刀は暦応三年・六十九歳の年紀をもちながら尻懸を冠して銘しており、説明書自身が旧説への躊躇を述べ、則長の代別はさらなる検討を促す課題とされる。

刃文 Hamon
研究

行年を添えた短刀二口(文保三年1319・四十八歳、暦応三年1340・六十九歳)より生年は文永九年(1272)と逆算され、暦応元年(1338)紀の生ぶ薙刀が加わり、元徳年紀は光山押形に所載される。

古来の説は尻懸を冠しない銘を初代、冠する長銘を二代以降とするが、第四十七回の短刀は暦応三年・六十九歳の年紀をもちながら尻懸を冠して銘し、旧説には躊躇が示され、則長の代別はさらなる検討を促す課題とされる。

銘鑑の年代は定まらない。初代を応長・元徳、あるいは正応頃とするが、現存作にはこれを遡ると鑑せられるものがあり、年紀作は稀で各代の区別は困難と繰り返される。

無銘極めには本阿弥家の極銘が伴う。光室の金象嵌(極めて少ないとされる)、天和三年(1683)折紙を伴う光常の金象嵌、光遜の金粉銘・金象嵌、失われた寛永十二年(1635)折紙は光室か光温の手と推される。

指定

国宝—
重要文化財5
重要美術品3
御物2
特別重要刀剣6
重要刀剣30

名工ランク

0.69 (指定作品46点)

刀工の上位4%

伝来

伝来記録16件 の鑑定作品における Norinaga

伝来ランク

名家所蔵9点、伝来記録16件

刀工の上位6%

素点:2.89 / 10

刀姿

評価作品46点の分布

銘

評価作品46点の銘の種類

販売中

系譜

Norinaga
弟子(4名)
  1. 1.則長Norinaga
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  4. 4.教光Norimitsu