志水甚五は、肥後金工を代表する林・平田・西垣・志水の四家の一つであり、初代甚五は平田彦三の甥と伝えられ、寛永九年(1632年)に彦三と共に細川三斎忠興に従い、豊前から肥後国八代に移住したとされる。肥後金工は皆初代が細川三斎忠興に抱えられ、指導を受けたことで発展盛行をみた。甚五は肥後金工中、最も異色の存在として知られ、代々その作風は継承され、肥後金工の大きな一派として連綿と栄えた。初代甚五には有銘作は皆無である。
甚五の作風の特色は、肥後の諸金工の中にあって、ひときわ強烈な個性を発揮することにあり、槌目焼手仕立ての鉄地に、猛禽や鳥・梟・雨龍などを大きく真鍮据文象嵌で力強く表す作風を確立した。表は猛禽・鶏・ふくろう・雨龍などを大きく真鍮据文象嵌で力強く表し、一方裏は空間を大きくとって文様を小さく配し、彩色や肉置きも穏やかにして表裏のバランスをとり、寂の趣を深くするよう配慮している点も特徴として挙げられる。一見表裏のバランスが非対称に感ぜられるものの、そこには甚五の卓越した技量と独特の世界観があり、総体的にきわめて均整のとれた趣の深い作品を数多残している。得意とした意匠として、鷲、梟、蛸などが挙げられ、松との組み合わせも多く見られる。また、素銅槌目地に蟹と勝虫を表裏に配するなど、素材や意匠において多様な試みが見られる点も特筆される。地鉄は鉄槌目地とし、真鍮据文象嵌を多用するほか、銀布目象嵌を施すものもある。鐔の形状は撫角形、撫角あおり形、泥障形などが見られ、櫃孔は片櫃孔、両櫃孔、変り孔などがある。
志水甚五の作品は、大胆で野趣に富んだ作風が特徴であり、その作風は他に比類なきものとして高く評価されている。「大模様の真鍮据文象嵌に強烈な個性を表出」しており、「図柄が頗る近代的感覚にうったえる」とも評されるように、斬新な意匠と大胆な構図は、今日においても色褪せることなく、鑑賞者を魅了し続けている。肥後金工における異色の存在でありながら、その独特の作風は後代にも大きな影響を与え、肥後金工の一派として確固たる地位を築いた。