吉岡因幡介は、徳川幕府の抱え金工として知られる吉岡家の歴代当主が受領した官位名である。吉岡家は初代重次が慶長年間に徳川家康に召し出されて以来、幕末の九代重貞に至るまで繁栄を誇った。代々藤原姓を冠称し、二代以降は因幡介の官位を受領したが、上代の作は幕府への納品のため全て無銘である。「吉岡因幡介」と五字銘に切るのは五代易次あたりからと思われるが、個銘を切らぬため代別は困難である。幕府の御用を務めた権威ある家柄であり、百俵十人扶持を支給された。
作風は、赤銅魚子地に高彫金色絵を施すものが多く、堅実精巧な作風を特色とする。題材は、近江八景のような風景、流水に立沢瀉紋、竹に虎、竜虎など多様である。色絵には金、銀、四分一、素銅など多種の色金を用い、豪華さの中にも格調が感じられる。金据文、金象嵌、金覆輪などの技法も駆使し、絵筆の筆勢そのままに描かれた金の平象嵌と高肉の金据文の対照の妙が見られる。魚子地は一面に魚子をまき、上品で清麗な印象を与える。
吉岡因幡介の作品は、幕府抱え金工としての真価を存分に発揮した出来口を示しており、将軍家の御用を務めた名工として評価が高い。「吉岡流の堅実な彫口に多種の色金を用いた色絵が的確に施されるなど、豪華さの中にも格調に満ちた出来口を示しており、幕府抱え金工としての真価が存分に発揮されている」と評されるように、その技術と意匠は高く評価されている。後藤家と同様に、赤銅地に高彫金色絵を施し、堅実精巧な作風を特色とした。