法安は鉄鐔に二字の名のみを切り、説明書はその詳しい経歴を伝える。尾張国清洲の武具鍛冶で、川口三郎右衛門といい、浅野家の抱え工となって甲斐国府中、さらに紀伊国和歌山に住居し、慶長十八年(1613年)五月二十日に歿した。戒名を本法院宗安日真居士という。女婿の久次たちが元和年間に浅野家の移封に伴って安芸国広島に転じたので、一族の墓地は広島の国前寺にある。指定を受けた五枚はいずれも室町末期から桃山時代の作である。
説明書は法安を山吉・信家とともに、いずれも有銘の作があり作風にも共通性のある尾張の鐔工とする。そのうえで法安は「信家に比してやや技巧的であり、山吉よりも一段と垢ぬけている」と記す。車透は法安・山吉に多く見られ、ともに「鉄骨をあらわして豪快味がある」。また説明書は、車透の佳品があることによって法安の名は高いとする。
その芸はまず地がねに始まる。法安の地がねは「うわばみ鉄」と異称されるほど手強さに定評があり、指定作ではねっとりとして処々に鍛え目が現われて躍動するとされる。十二間の車透の丸形鐔は耳を土手耳風に厚くし、地肌は鍛えられた鉄の美しさと力強さを見せ、随所に鉄骨があらわれ、説明書は透しを「たくまない彫法を駆使している」とする。
得意とするのは焼き手腐らしの工法である。竪丸形の鐔は表に六字名号を、裏に七字の題目を鋤出し、説明書はその技法をいわゆるくさらし手とし、地の槌目と小透が一層雅味深いものにしているとする。車透耳長兎図鐔では同じ工法で耳長兎をあらわし、金象嵌を添える。他の作では平地に変化と様々な動きを見せている。
もう一つの手は阿弥陀鑢である。車透の丸形鐔は透さぬ部分を阿弥陀鑢の意匠とし、説明書は「車透と阿弥陀鑢との配合の妙が面白く」、構図・彫技とも秀逸で、「法安独得の艶とうるおいが心地よく伝わり」、がっしりした大形の切羽台も力強いとする。変り八ツ木瓜形の題目図鐔は全体を阿弥陀鑢地とし、変化に富む耳も一つの景色となり、「一個の鐔に法安独特の世界が現出されている」と評される。
指定を受けた五枚はいずれも重要刀装具の鐔で、二字名の銘をもつ。説明書は伝来を記さず、所蔵の機関も挙げていない。いずれも個人の所蔵として指定され、市場に現れるのは時折のことである。説明書はどの在銘作にも同じ清洲の経歴を引き、代を分けていない。蒐集家が法安に出会うのは、その名声を支える車透の鐔と、技法を示す腐らしと阿弥陀鑢の鐔においてである。