雲州は出雲国を指す呼称であり、ここに括られるのは同国に縁を持つ工である。説示に名の挙がるのは二工で、時代も作域も大きく隔たる。古い側は雲州忠貞で、二字銘を切り、その作は永正頃とみられる。新しい側は雲州長信、すなわち高橋理兵衛で、自ら若州冬広の十七代目を称し、天保の末年頃に江戸へ出て長運斎綱俊の門に学び、後に認められて松江の松平家の抱え工となり、明治十二年に没した。忠貞が中世末の地方工であるのに対し、長信は綱俊の系統を承けた幕末新刀の作者であって、両者を一つの伝統として括ることはできず、出雲という土地を介してここに並ぶ。
作風は工によって異なる。長信は長寸で姿の豪壮なものが多く、地鉄は小板目がよくつんで無地風となり、足の揃った丁子を得意とし、匂口の深い沸出来をみせる。掲げられた一刀は身幅広く重ね薄め、腰反りついて大鋒となり、互の目に尖りごころの刃や角ばる刃を交え、頭の丸い互の目を基調に高低を見せて華やかに乱れ、匂口が明るく冴える。これは綱俊門らしい房の細い丁子とはやや趣を異にし、山浦一門の上作を彷彿とさせる出来である。忠貞は小板目に刃寄りの柾を交え、広直刃に小互の目を交えて足・葉がよく入り、砂流しかかって匂口の沈むものをみせる。
鑑定にあたっては、長信は逆大筋違の茎鑢が手懸かりとなり、これは同工の特徴として説示が繰り返し記すところである。長銘や注文者銘、年紀を生ぶ茎に長く存する作が遺り、抱え工としての注文打ちの性格をよく伝える。忠貞は二字銘を残し、その作は一見備前の清光・忠光に通う作風を示して、地方工ながら出来のよい佳作を含む。出雲という一国にあって時代を異にする両工が、それぞれ綱俊系の新刀と備前風の中世末の作という別個の拠り所を持ちつつ、雲州の名のもとに位置づけられている。